掃除機delete

気が付けば6月になってしまいました。

緊急事態宣言が解除となり、閉まっていたお店もぼちぼち開き出し、街に人出も徐々に戻って来ていますが、月が変わって急にウイルスがなくなったわけでもないし、非日常をまとったまま日常を生きている妙な感覚が続いています。

本当なら今頃molnの買い付けでラトビアリトアニアスウェーデンを旅しているはずなのですが、旅の予定はすべて白紙になりました。手帳に書かれた予定がまるでパラレルワールドのように見え、ここに記された世界では自分は何をして何を思っているのだろうかと想いを馳せたりしています。田圃からごっそり刈り取られた稲のようにdeleteされた予定。その稲は米になるわけでもなく6月の景色に霧散するだけなのです。
この頃は家にいる時間が長いので掃除をまめにするようになったのですが、長年使用している掃除機が劣化したのか急にゴミを吸わなくなり。吸引力がジャイアンにいじめられるのび太の如く弱くなり使い物にならなくなったのです。「ドラえもん〜掃除機の吸引力を強くする道具出してよ〜」と懇願したくても家には肝心のドラえもんがいませんし。仕方なくテテレテッテレー(えもんが道具出す時のジングル)と日本銀行券を己のポケットから颯爽と出し、ダイソンの掃除機を新調したのです。漢字読めないでお馴染みの麻生くんが「給付金渡しても貯金されちゃうだろう〜」とスネ夫の如く口をひん曲げて言ってましたが、こうして使って経済回してやってるぞ!早く10万円寄越せ!とジャイアンの如く荒れながらおニューの掃除機を手にしたのです。まだ見ぬ彼方の10万円を夢に想いながら。
いざ到着したダイソンの掃除機は色味がウルトラマンの如き様相で、構えると光線銃のようでもあり。青と赤に彩られたそいつは自宅で異彩を放ち、取り敢えず部屋の片隅に置かれ、まずは充電されることになりました。3時間半充電すれば使えるとのこと。そして満を持してのお掃除タイム。吸引力の下がった旧掃除機に慣れていたのもあり、格段の吸引力でどんどんゴミを吸って行くダイソンに惚れ惚れな私。スイッチをMAXモードにするとさらに吸引力アップなのです。猫たちの毛は勿論、ウイルスも吸ってくれそうな勢いです。「おお!これは凄いぞ!」とMAXモードで次々とゴミをやっつける私。その勇猛果敢な姿はウルトラマンもかくや。出たぞ必殺ダイソンキック!ダイソン光線!と興奮する私。しかし5分ほどしたでしょうか。「シュ〜ン!」とダイソンくんは唐突に力尽きてしまったのです。「え?もう充電切れ?」と余りの早さに二度見する私。ようよう説明書を見ると3時間半の充電でMAXモードだと使用時間6分と書かれているではありませんか。「ろ、ろっぷん?」と私は驚愕し、3時間半の充電で6分しか持たないってどんだけ〜、短か過ぎ〜、外車並みの燃費の悪さ〜、マジ卍〜と引いたのですが、平常モードだと30分は持つのです。常に平常モードで使用し、手強いゴミの時だけMAXモードにすれば良かったのです。ウルトラマンのカラータイマーは3分なので、MAXモードは2人分と考えるしかありません。仕方なくその後また3時間半充電し、今度は平常モードで掃除をし直しました。ちょこちょこ使う分には30分なら大丈夫そうです。猫たちの毛が生え変わる季節なので吸引力のある掃除機は必須なのです。ただミル坊ココ坊はダイソンくんを怖がってシャー!と威嚇しておりました。君らの毛を吸ってくれるのだぞと諭しても彼らはキョトンとするばかりです。給付金の一部はこうしてダイソンに消えました。まだ実際に10万円貰ってないので前払いですが。
壮大なる税金の無駄遣い、不要の極み、人類史上稀に見る超弩級の愚策にして笑いものとして後世に名を残すであろうアベノマスクがポストに届き、何だかなあと思っています。その役立たずっぷりに我々はキョトンとするばかりです。寧ろ次々と安部政権の悪事と不手際が発覚しシャー!と威嚇したいくらいです。ダイソンで一掃出来ないものかと思いながら猫たちの毛を掃除しています。
そんな6月の始まりです。きっと霧散した予定を何かで埋めながら過ごすのでしょう。粛々と。f:id:fishingwithjohn:20200609173732j:image
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名前のない5月

長いのか短いのか、よくわからない早さで日々が過ぎて行くのです。もう5月も終わるのかと思うのと同時にまだ5月は終わらないのかと思ったりしています。そんな感覚に慣れて来ている自分もいるのです。名前の付けようのない時の流れ。
最近は毎朝ラジオ体操と筋トレを習慣にしていて身体を動かすようにしているのです。ラジオ体操を久々に行うと身体が動きを覚えている部分と「あれ、次は何だっけ?」と迷う部分とがあり、最初は戸惑ったのですが段々慣れて来ました。30年近いブランクがあるのに動きをまだ覚えている辺りにラジオ体操のフォーマットの普遍さと強靭さに驚くばかりです。まだコンビだった頃のバカリズムにラジオ体操をベースにした「ラジオ挫折」というネタがあり、「腕を前から上にあげて大学受験に失敗~」という発声から体操が進むに連れ主人公がどんどん挫折し堕落し、いよいよ借金をするくだりで「正面から受け取るっ!」という威勢の良い掛け声がかかるのですが、いつもその掛け声を思い出しながら体操をしています。バカリズムの相方だった彼はあのネタの中で挫折から立ち直れたのでしょうか。正面からお金を受け取る哀愁ある動きを未だに思い出してしまいます。初期バカリズムの名作。
それでもずっと家にいると運動不足に陥り体重も増加の一途をたどり、毎日体重計に乗りながらその数字の増加に「オーマイガー」などと発したりしています。人の重みが地球に負荷を与える影響は如何程か。このコロナ禍で人類全体の体重は確実に増えたことでしょう。家にずっといると食べることが大きなエンタメになるので3食に気合いが入るのです。酒場にも行けないので自宅酒場や近所の川べりへ出掛けて川Barを開店したりしています。出掛けた帰りに歩きながら酒を飲む帰路Barというのもバリエーションとして。自宅で飲み過ぎて体調を悪くするというよろしくない日もたまにあり、ストレスを酒で回避するのもほどほどが良いのですが。
髪の毛もすっかり伸び、電車に乗って遠方の美容室に行くことも難しいので、伸び切った髪の毛を「野ブタをプロデュース。」の亀梨くんの如くヘアゴムで結んで過ごしているのですが、いざ鏡を見ると亀梨くんとはほど遠いしょぼくれたおじさんがそこにいるので「嗚呼、なぜ私は亀梨くんではなくて五十嵐くんなのだ」と愕然としています。青春をアミーゴする心意気だけはあるのですが。コロナの分だけ伸びた髪。そんなフレーズを歌う者がいても良いような。
アベノマスクは相変わらず届かないし、アベノセイサクは後手後手で保身のやめには迅速に動くという姑息っぷりを発揮し続けており、もういちいちニュースを追うのも疲れるのですが、このコロナ禍がなければ未だその姑息をしれっとブーストさせ続けていたのかと思うと、ある意味良い機会ではなかったのかと思ったりもします。姑息が具現化された存在が国のトップにいて今は有事真っ只中。控えめに言って最悪ですが、我々はタフに生き延びなければならないのです。芸術、文化を愛しながら。
先日上野さんにお願いしていたfishing with johnの曲のミックスが届き、長年完成していなかった曲が完成した喜びを味わっているのですが、最初にベーシックを録ったのが8年前とかなので、1曲作るのにどんだけかかっとんねんと改めて思った次第です。しかし上野さんのミックスによりとても良いものに仕上がり嬉しい限りです。他も良い曲が上がって来ているので、ぜひリリースにこぎ着けたいのですが。
元より細々だったカマクラ張子業もコロナ禍の影響で細細細々々々になったのですが、それでもせっせと働く日々です。先日はいつもお世話になっているミルブックス藤原さんから依頼され、NegiccoのMeguさんへの贈り物のオリジナル招き猫をお作りしたところ、Meguさんご本人がツイッターで紹介してくれました。Meguさんが立ち上げたオリジナルブランドのロゴを入れた特製招き猫なんですが、Negiccoファンの方々にも好評をいただきました。Negiccoの楽曲は好きで聴いてはいたもののあんまりアイドルという認識はなかった自分ですが、今はMeguさん推しでそこんとこよろしくな己がいます。
猫を撫でながら「佐々木、佐々木」と鳴き続ける佐々木バードの声を聞きながら5月を終えようとしています。暑かったり寒かったり服装に迷う月でしたが、みんなあらゆることに迷っているのでそんなものかと思ったりしています。今までにない不思議な5月です。

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猫カレンダー、毛繕う日々

気が付けばGWも終わっておりました。ほぼ自宅にいたし、これからもほぼ自宅にいるので何ら生活に変わりはないのですが、何となくひと段落と思ってしまうのは自粛要請が当初GWまでだったからでしょうか。結局要請は5月末まで延長になりましたが(自粛を要請するという言葉自体おかしいし、それを延長するというのもおかしな日本語ですが)、何を根拠に末までなのかわからぬのです。結局カレンダー上で区切りが良いからということなんでしょうか。人様はカレンダー上で動かされている生き物なのだなとつくづく思わされますね。カレンダーから削除され文字通り白紙になった中身のない思い出を抱えて我々は5月を過ごさねばならないのです。

近頃ココ坊は私の背中に乗り私の髪の毛をぺろぺろと舐めて来るようになったのですが、毛繕いのつもりなのでしょうか。「ゆうくん、毛を繕って上げるね!(ドヤ顔)」という感じなのでしょうか。髪の毛も切りに行けないのでかなり伸び切っており、舐めるのも大変でしょう。このままココ坊を肩に乗せ旅にでも出たい気分ですが、それもかなわないのが残念です。猫たちも我々が家にいる時間が長いので、より親密になっている気がします。喉をゴロゴロ鳴らす音は世界一幸せなサウンドではないでしょうか。動物に身を委ねられるというのは人類が信用を得られたというような感覚で、えも言われぬ感動があるものです。世界中の猫よ、その喉を鳴らすのだ。
ブックカバーチャレンジというものがインスタで回って来て、この手のバトンを誰かに強いるのも何だしと思い次の人には回さずに7日間1冊ずつ本を紹介したのですが、日頃インスタにはミル坊ココ坊の姿かコレクションしている猫ジャケレコードの写真くらいしか載せていないので、本の方も猫縛りにしました。猫が表紙に載っている、タイトルに猫が付いている本です。気付けば本棚には猫の文字がたくさん並び、自然と好きな物を手に取ってしまうのだなと思ったのですが、改めてそんな猫の本を読み返したりしています。傍らに寝ている猫を撫でながら猫の本を読み、猫ジャケのレコードを聴いているとただただ猫に満ちているな自分は、と気付かされます。猫に満ちるための人生。猫風呂があればそこに浸かりたいくらいです。みゃあみゃあと鳴かれながら。引っ掻かれて「痛っ!」などと言いながら。
自分のソロユニットであるfishihg with johnのアルバムを作ろうとここ10年くらい作業しているのですが(出す出す言い続けて出す出す詐欺みたいになって久しいのですが)、いよいよ出せそうな雰囲気が漂って来ました。気配を感じるのです。そっと近付く猫のような静けさで。ただただ一心に毛繕いをする猫のようなテンションで作業をしています。こんなに時間をかけてアルバム作る人っているのだろうかと思いながら6年前に作ったトラックに音を重ねたりしています。6年前の自分も驚いていることでしょう。この曲まだ完成してないんかいと。他の方とコラボしてすでに出来ているものもあれば、まだ頭の中だけで鳴っているものもあります。現在草テンの録音でエンジニアをしていただいた上野さんにリモートでミックスをお願いしているものもあります。それこそ猫がひょっこり顔を出す感じで出したいと思ったりしています。どうせなら可愛く顔を出したいものですが。にゃあなどと鳴きながら。
長いような短いような、曜日や時間の感覚もあやふやになりつつあるこの頃ですが、猫のカレンダーってそんな感じなのかもしれません。取りあえず白紙の日々に何かを記しながら生活しています。そんな5月です。

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5月バード、森の入り口

気が付けば5月になってしまいました。いつもならGWということで忙しい時期なのですが、今年は閑として時雨です。聞こえるのは閑古鳥のラウドな鳴き声ばかり。非日常の中の日常をいつもと変わらず生活しているのですが、非日常であることをふとした時に感じ、栞を挟んで日々のページを繰る手を止めたりしています。休むということはかくも力を必要とするのか。

私の家は細い道をかなり奥に歩いた果てにあるので、いつもなら近隣の住人か宅配の人しか来ないのですが、最近は見知らぬ親子連れや夫婦や単身者が迷い込んで来るようになりました。みんな散歩やジョギングなどで近所を徘徊するしか楽しみがないので、いつも歩かない新鮮なルートを辿って来るのです。「あー行き止まりなんだー」とか「この道ここまで伸びてるんだねー」とか「トトロの森みたいじゃん」などと会話が聞こえたりします。家の裏側は深い森のようになっているのですが、他人にはトトロの森のように見えるのか、それは何だか嬉しいと新たな発見をしたりしています。自分も普段歩かない見知らぬ住宅街を歩いたりするのですが、「この家のデザイン素敵だな」とか「庭の花綺麗だな」とか感心したり、自転車の数と洗濯物から「ここは4人家族で子供は小学生だな」とか家族構成をプロファイリングしたりして楽しんでいます。散歩がこんなエンタメになるとは。こちらも新たな発見がありました。

トトロといえば主人公の名前がサツキとメイでどちらも5月なのです。春と夏の狭間のちょうど良い気候で、こんな過ごし易い季節を名前に持つのは気分が良いに違いないと五月晴れの空を見ながら思ったりします。ファーストサマーウイカというタレントの名前の由来は本名の「初夏」を英訳したものに本名を足したものらしいですが(寺門ジモン方式らしいです)、メイ五月みたいなことでしょうか。名前にファーストサマーが入っているだなんて物語性があって素敵だなと思ったりします。
最近は近所の川べりに降り立ち、せせらぎを聞きながら橋の上の木々を眺め酒を飲むという通称「川Bar」を楽しんでいます。橋の下に降りると視点が変わるので、下界に移動したような気分で新鮮なのです。村上春樹の小説に深い井戸に降りて思考する描写がありますが、こんな感覚なのかもしれないと思ったりします。川べりで木々や鳥を観察しながら酒を飲むという小粋なエンタメを得ています。
鳥の鳴き声といえば一定のリズムでピピピ、ピピピと無く子がいて、それが「佐々木、佐々木」と聞こえ始めたら佐々木以外の発音に聞こえなくなり、「今朝も佐々木バードが鳴いているな」と思うようになりました。佐々木はあやの旧姓なのですが、あやへ呼びかけているのだろうかと窓の外を見るのですが姿は見えないのです。あやにしかわからないメッセージを放っているのでしょうか。いつか佐々木バードの姿を確認してみたいものです。
ミル坊ココ坊がわちゃわちゃと動く様を見ながら「佐々木、佐々木」という鳴き声を聞いているとここは日常なのか非日常なのかよくわからなくなります。豊かではあるが不自由。そんなサツキにしてメイを過ごしています。

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猫たちのディスタンス

気が付けばもう4月も後半、もうすぐGWに突入なのです。自粛生活していても以前と同じように時は過ぎるし、猫は可愛いのです。社会の歯車に微小な異物が挟まりギシギシと軋んでいるのに、以前と同じように回ろうとしている違和感を覚えながらも猫は可愛いので毎日これでもかと撫でています。可愛いという絶対の価値観が可視化された生き物であるなと実感するこの頃です。みなさんいかがお過ごしでしょうか。

映画やドラマを見ていても「わ、濃厚接触してるよ!」「三密になっちゃってるけど大丈夫?」「ソーシャルディスタンスを保って!」と若干の違和感を覚えるようになっている自分がいて、もうこれからの生活スタイルや価値観をウイルスありきで変えて行かねばならないのだなと思ったりしています。ソーシャルディスタンスという言葉を目にする度にアルフィーの「星空のディスタンス」を思い出し、「もーえあがれ、あーいーのレジ〜スタ〜ンス〜!」と私の心の中の桜井が熱唱してしまうのですが、あの歌は今の時代の距離感を先取りしていたのでしょうか。アルフィーの3人も2メートル間隔で立たないといけないので、ステージワークがやりづらくなりそうです。「星空のディスタンス」を久々に聞きたくなりサブスクで探すもさすがにアルフィーさまも45年も活動してると色々なバージョンがあり、ライブバージョン、バラードバージョン、新録バージョンとざっと確認しただけで5種類くらいあり、オリジナルバージョンを求めてしばしサブスクの海を航海したのですが、この3人は愛のレジスタンスを燃やし続けているのだなと感心してしまった次第です。(後で調べたら9バージョン存在するそうです)。
今流行りのズーム飲み会というものをあやがやっていて、私も横にいるので映り込んだりして「ウェーイ!」とかやったりしているのですが、未来だなあと思ってしまいますね。人は何かしらの手だてを使って繋がりたい生き物なのです。まあ我々のような酒飲みは単に飲み会がしたいだけであって、そんな高尚なものでもないのかもしれませんが。リモートで酒を飲んで会話することは可能ですが、酒場独特の雰囲気とか店主とのやり取りとか、「次はこれ頼もうかな」という選択とか、何より美味しい肴を目の前で出してくれる喜びは生まれないので、やはり酒場に行きたい欲は消えないですね。喫茶店とかもそうですが、場所や空間の大切さも実感しているこの頃です。場所に集まるという行為の崇高さよ。吉田類も放浪出来なくてうずうずしているのではないでしょうか。自分がよく行く酒場は休業しているのか、情報を探すも大衆酒場はSNSとかホームページとかもないし、そこに出入りするお客さんもSNSをやっていない例が多く、あの店大丈夫かなあとあちこちの場所に想いを馳せながら自宅で酒を飲んでいます。休業を要請するならきっちり補償もしてくれないと!国は何やってるんだ!と、結局政治不信に落ち着くので精神上よろしくないのです。史上稀なる愚作であるマスク2枚配布は完遂さえ出来ていないという体たらくだし(結局利権か、と我々は何回失望すれば良いのでしょうか)、このまま延々と中途半端な自粛要請だけでは感染拡大防止も出来ないし経済も細るし、何だかなあと沈没する船の上で星空のディスタンスを見上げている私です。
それでも毎日物を作って何だかんだ忙しく過ごしています。通販が出来るというのが我々物を売る人間にとって命綱になっています。本当に物流に携わってくれる方々には感謝しかありませんね。自分に出来ることを粛々としていくしかないなと思いながら猫を撫でています。毎日あやとミル坊とココ坊が3匹寄り添っている光景を見ていると、うちのアルフィーはこのディスタンスで良いのだなとほっとします。自粛生活が続こうとも猫は可愛い。それは絶対変わらないのです。

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リモートコント、概念散歩

有事でありながら平時のような、真綿で首を絞められていながらも変わらぬ日常がそこにある不思議な感覚ですが、みなさんお元気でしょうか。

イベントが飛んだり色々ありますが、やる仕事はあるので普通に毎日せっせと働いています。物を作る日々です。molnはお店の営業は自粛していますが、ありがたいことに通販の申し込みをたくさんいただいているので、私も荷作りなどの手伝いに追われています。インスタ配信で商品を紹介して販売するというテレビショッピング的な方法を用いているのですが、みなさん家にいるので割と見てくれるのです。医療、介護などに従事している方への感謝は勿論ですが、我々のような小売業者は宅配など物流に携わっている方へ感謝せずにはいられません。通販という手段がなければ物を売れないし、また買う側として利用出来るからこそみんな安心して家にいられるのですから。国が「自粛して家にいてね、金は出さないけど」というせこい態度なので、何とか色々な方法で生き延びねばなりません。営業している店を責めることは出来ません。自粛していても家賃は発生するのです。やはり自粛要請と補償はセットであるべきなのです。意識高い人たちが政府に期待せず自分たちで出来ることをやろうぜ、こんな時は批判するのはやめようよ、みたいなことを言いがちですが、我々は国に税金を納めているのです。国がおかしなことをしていたらきちんと言わねばならないのです。星野源の横で安倍ちゃんが優雅に犬を撫でお茶をいただく動画に怒りを表明することは大事なのです。しかしあの映像を最初に見た時はコントとしての完成度が高くて怒りの前に腹抱えて笑っちゃいましたけどね。パンがないならケーキを食べれば良いじゃないイズムを天然で演じてしまう無神経さと安倍の間抜けな佇まいの一挙手一投足とダサさと星野源の世界観との落差が。私が一番笑ったのは無の表情でテレビのリモコンいじってるくだりですけどね。あのリモコンいじりの空虚な動作。あの動作の絶妙な尺は優秀な作家の演出が入っているのかと思いました。(リモートワークしてねという隠れメッセージだったらさらに優秀。)あと白いハイソックスとかパンツとか犬とかダサい昭和のお金持ち感と時代の最先端にいる星野源を並べてドヤ顔で出しちゃう辺り。あれを昭恵夫人が「ねえあなた、まずは犬を撫でてみたら」などと演出しながら撮影していたらさらにコントとして完璧だなと思っちゃいました。野爆のくうちゃんとかロバートの秋山とかにパロディして欲しいものです。しかしあれを見ちゃうと、この人は我々庶民の生活に想像を働かせることも出来ないのだなと実感しますね。自分の無策のせいで星野源を生み出したライブハウスや劇場が悲鳴を上げていることが全くわかっていないのですから。
ここ最近は自宅とお店の往復だけで、もう1ヶ月は電車にも乗ってない状態です。行き帰りの散歩がこんなにも楽しいのかと改めて思いますね。イタリアでは犬の散歩以外の外出が制限されているので、犬のぬいぐるみを連れて歩く人も出ているそうです。そのうち犬という概念を連れて歩く人も現れそうです。首輪だけ持って歩き、「あれ犬は?」と聞かれたら「犬という概念がここにあるじゃありませんか。見えませんか?」と。そうまでして散歩したい欲求はよくわかります。諸外国のように強制的にロックダウンしないと意味ないんじゃないかと思いつつ、そうなったら概念を連れて散歩に出てしまうかもしれないと行き帰りの路上の葉桜や春を告げる花々を愛でながら思う私です。
そんなわけで飲みにも行けないので自宅で飲んでいるわけですが、この間飲みながら山田氏のインスタライブを見ていたら「あれ五十嵐くん見てる、五十嵐くーん」と呼びかけられ、「ウェーイ!」と応答し、でろでろに泥酔した動画を全国のみなさんに晒してしまいました。あのインスタの機能、罠ですね。しかも泥酔していたのでよく覚えておらず、次の日にアーカイブを見て愕然とするという。みなさんもお気を付けて下さい。(何にだ)
とりあえずみなさん健康に気を付けてなるべく家にいましょう。たまに概念を連れて散歩するのもおすすめです。ウェーイ。f:id:fishingwithjohn:20200413101256j:image
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4月のほとりで

気が付けばもう4月です。早いのです。桜が満開になり、薄ピンクの花びら散る道をゆるりと歩けば鳥の鳴き声、暖かな日和につい一句詠みたくなるような心持ちになりそうですがならないのです。いつもと変わらぬ街の様子ですがいつもとは違うのです。こんな不思議な気持ちで新年度を迎えるとは思ってもみなかったです。新型コロナウイルスという目に見えぬものと戦うことになろうとは。目の前の風景に1枚見えないフィルターがかかっているかのような、ちょっとした違和感が持続しています。
東京スカイツリーソラマチ5階のすみだ まち処で4月3日から開催の「すみだ まち処 春の市」という催しにカマクラ張子で参加する予定だったのですが、商品も送りスタッフさんに陳列もお願いして、無事初日を迎えたと思ったら4月4日から12日までスカイツリー自体が休業となってしまいました。本当はワークショップや実演も予定していたこの催し、昨今の状況を鑑みて商品だけの参加としたのですが、その商品自体も幻となってしまいました。4月12日に予定していたmoln10周年のイベントも延期となりました。草とten shoesでリハーサルも行っていたのですが。6月に予定していたmolnのラトビアへの買い付けの旅も飛行機自体が飛ばないので中止となりました。今回はスウェーデンにも行こうと思っていたのですが、こちらも幻となったわけです。人生のすべてが幻となる呪文でもかけられているのでしょうか。
幻といえばマスクです。未だに店頭に並ばないのです。菅ちゃんが2月末に「これからは月6億枚作りますっ!(キリッ)」とドヤ顔していたのは夢か幻だったのでしょうか。さらには安倍ちゃんによる一世帯2枚という謎のマスク支給です。ギャグか何かかと思えば本当なのです。マスクはありがたいけどもっと他にお金の使い方はなかったのでしょうか。しかもWHOがあまり効果ないとうたっている布マスクだって言うじゃない。老若男女、誰にでも平等に与えられる安倍ちゃんのマスク2枚。恋をする少女にも自我に目覚めた少年にも社会の荒波を泳ぐすべての大人にも余生を静かに歩む老人にも平等に与えられる安倍ちゃんのマスク2枚。ひとり暮らしなら2枚使える、2人暮らしなら1枚ずつ使える、3人家族ならひとり使えないけど2人は使える、4人家族なら2人使えないけど2人は使える、5人家族なら3人使えないけど2人は使える、100人家族なら98人使えないけど2人は使える安倍ちゃんのマスク2枚。白く柔らかなその布は温かく、我々の口元を包んでくれるでしょう。窓際に置いたその素敵なギフトに桜の花びらがはらりと落ち、白地に薄ピンクという美しい光景を我が家に届けてくれる安倍ちゃんのマスク2枚。ははー先生ありがたやーと頭を垂れるとでも思っているのでしょうか。歴史上稀に見る馬鹿策ではないでしょうか。キングオブ馬鹿。トップオブ馬鹿。馬鹿オブザイヤー。漆黒の闇に燦然と輝く馬鹿。10000000000年に一度の馬鹿。自作の安倍馬鹿音頭を「はい、あべちゃん〜ばかっ、ばかっ」とばかりに踊りながら夜を明かしたい衝動に駆られたのですが、それこそ馬鹿なのでやめておきましたけどね。自粛ばかり要請して補償はしないし、トップの馬鹿さに落涙を禁じ得ません。公文書改ざんするし税金私物化するし嘘つきだし馬鹿だしそんなやつを必死に擁護する馬鹿もいるしで本当に美しい国だなと実感しています。美しすぎる。今「うつくし」とタイプしようと思ったら「撃つ駆使」と変換されました。見えない自由が欲しくて見えない銃を撃ちまくる。見えないウイルス相手に撃ちまくる愚かな人間が実は地球上一番美しくない生き物かもしれないとふと地球目線で思ったりします。実際中国では人が外に出ないので大気汚染が改善されたそうじゃないですか。
気晴らしに海を散歩しながら、猫を撫でながら、ハイボールを飲みながら、レコードを聴きながら、このちょっとした違和感が拭えるのはいつになるのかとふと考えてしまうこの頃です。健康に気を付けて生き延びることが我々の撃てる銃なのかもしれません。撃つ駆使、美し。

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