缶の過去、あるいは未来

先日、駅のホームで突然見知らぬおじいさんに
「すいませんけどこのふた開けてくれませんか?」
と缶コーヒーを差し出されたので、
驚きつつも「ああ、いいですよ。」と
その缶のプルタブを開けてあげたのですが、
そうかーお年寄りの力では開けられないんだなー、とか
ちょっとした発見があったのですが、
そういえば自分も幼少の頃は一人で缶のプルタブを
開ける事が出来なかったなーとかふと思い出したりしましたよ。
ジュースはいつも大人に開けてもらって飲んでいたものです。
そういえば昔は缶のプルタブって取ったら缶から離れるやつで、
今みたいに缶にくっついたままのやつじゃなかったなーとか
思い出したのですが、よく取ったプルタブを指にはめて
「ゆびわー。」とか遊んだりしましたよそういえば。
当時は取ったプルタブをどう処理していたのか
あまり記憶にないのですが、飲み終わった後に缶の中に入れたり、
飲む前にそれだけ先に捨てたりしていたのか、
いずれにせよ随分不便でしたね、今思うと。
当時はペットボトルなんてなかったし、
缶ジュースは開けたらその場で飲み切らないといけない、
みたいな責任があったような気がするのですが
(そんな重いものでもないでしょうけど)
缶ジュース周りも変化したものです。
昔は缶ジュースといえばすべて100円で、
今みたいに120円なんて映画館とかの娯楽施設内だけで、
「映画館値段じゃん!」とか当時の価値観からすると
驚きに値すると思うんですけど今は120円が当たり前ですもんね。


ところで今の子供たちに「缶蹴り」なるゲームを
プレイする習慣がまだあるのか気になるのですが、
今だとペットボトルを代用したりするんでしょうかね。
非常に踏みにくいでしょうけどね。
空き缶を蹴る行為は何となく黄昏が似合いサマになるのですが
ペットボトルを蹴りながら黄昏を歩いたりしても
何だかサマにならないですよね。
「ちゃんとリサイクルしろよ、ボーイズ!」
と声をかけたくなりますもんね。
キック・ザ・カンクルーなるユニット名は
非常に秀逸だと思っているのですが
缶蹴りという遊びが廃絶になったらその由来も
わからなくなるんでしょうかね。
まだ缶蹴りに未来はあるんでしょうか。


ところで缶のプルタブを集めると車椅子が手に入るという
半ば都市伝説みたいな話がありますが、
(検索するとこの話、結構出て来ます)
こういう話もやがて忘れられるのでしょうかね。