夏の形態

某携帯電話会社のCMコピーに「決める夏」というのがありますが、
先日、電車内で大学生らしき2人組が
「ケータイのCMでも『決める夏』って言ってるじゃん。
やっぱキメなきゃあ!」みたいな会話をしており、
へえ、こうやってちゃんと大衆の心を掴んでるんだなーと、
そのコピーの浸透度に感心したりしたのですが、
大学生は決めるみたいですね。夏に。
私としては「別に決めなくても良いんじゃないか、夏」
みたいな、「愛なんていらねえよ、夏」みたいなノリで
(もしくは「何も言えなくて・・・夏」みたいなノリで)
決定を急がない方針を推進したいところなんですが、
携帯会社はどうしても夏に決めて欲しい所存であるわけで、
その点に於いて私と携帯会社の見解の相違が露呈された形になり、
物別れの様相を呈しているわけなんですが、如何なんでしょうか。


ちなみに私の使用している携帯電話会社のCMでは
黒人の兄と犬の父と上戸彩の家族がどーのこーのという
シュールなミニドラマが展開されており、
私はあの設定のわけのわからなさに目眩に近いものを感じるのですが、
あの面白さを受け入れる器の大きさと寛容さが私にないだけなのか、
いずれにせよスベっているように見えるのですが如何でしょうか。
上戸彩の声が掛布さんになっちゃったよーとか、
半ばスベる前提で書かれただろうオチが本当にスベッていたりして、
シュールなんてどうせこんなもんでしょみたいな、
シュールコントをなめてるかのようなオチと佇まいに半端さを感じて、
私はあれの面白さを400字詰め原稿用紙50枚くらいにまとめさせて
レポートとして提出させたい衝動に駆られるのですが、
まあ提出されたところで読まないだろうことは安易に予測され、
ならば余計なレポートの提出などは要求しない方が
無難だろうなと思ったりしています、夏。
まあ印象には残るのでCMとしては成功してるんでしょうけどね。


あと他の携帯のCMでやたらと豪華な役者が揃ったやつがありますが、
あれだけ集めるとかえって焦点がぼやけて薄まるというか、
あれもぼんやりとスベッてるように思うのですが如何なんでしょうか。
浅野忠信が鳩を出すオチって言うほど面白くないと思うんですけど。
(あの鳩ネタを今後どれだけ推すのか逆に注目ですけども)
昔「キャノンボール」っていうアメリカ映画があって、
当時の豪華なスターたちがたくさん勢揃いしてた割には
仕上がりが果てしなくB級になっていて哀愁を感じたものでしたが、
集めれば良いってもんでもないような気がしたりしています。
あの最近の「俺の携帯知らない?」と携帯で尋ねておいて
「あ、自分で持ってたわ」というオチなんか
爆笑オンエアバトルで94キロバトルくらいのオチですよね。
まあ別にあれはCM内のドラマで商品のイメージ付けに過ぎないのだから
そこまで言及する必要もないんですけどね、夏。