スターゲイザーになれなくて

気が付けばもう11月下旬です。
早いのです。
時が早く経過する魔法にでもかけられてるのかと疑念を抱きながら、
かけられたのならその魔法を解く方法はないものかと模索しながら、
冬へと向かうまっすぐな路を蛇行しながらよろよろと歩いています。
何しろ先月今月と仕事がタイトで、
連日ひたすら筆を持って絵付けをする修業のような日々であり、
目と腕を酷使しひーひー言いながら働いておる次第で、
私が私の目であるなら「ちょっと休ませて!」と悲鳴を上げ、
五十嵐はブラック企業だと愚痴をこぼしながら酒でも飲むところでしょう。
仕事後、そんな目を少しは休ませれば良いものを
スマホだのPCだのに落ちている情報を凝視する始末で、
目というのは働き者だねと感心せざるを得ません。
(だから休ませろという話ですが)


目と言えばこの間ラジオで赤江珠緒さんとしまおまほさんが
「昔視力回復センターに通っていた」という話をしていて、
ああ、私も一時期通ってたわーと急に思い出したのですが、
あのセンターは今でも存在するのでしょうか。
私が眼鏡をかけ出した小学生低学年の頃、
親が「こんな施設があるらしい」と情報を拾って来て通うことになったんですが。
視力を良くするにはまずは姿勢からということで姿勢矯正ベルトを巻き、
近くで絵葉書を凝視した後に遠くの物を凝視するという訓練や、
目の体操なんかを定期的に行ったりしていて、
まあ理にかなってると言えばかなってるんでしょうが、
結局姿勢なんかまっすぐにならないし、
日常に於いて本やテレビも見れば勉強もして目を酷使するのであり、
また遺伝てやつにも抗えぬもので、
その後視力は回復どころかまっさかさまに落ちてdesireという感じで、
結局程なくして行かなくなったんですけどね。
それなりに月謝もかかっていたろうに勿体なかったなと思うんですが。
当時星を見ると目が良くなると言われて、
星座の定点観測なんかも戯れにやってみたのですが、
人というのは星ばかり見ていられぬもので。
漫画や小説など目の前の活字を追ううちにまっさかさまに落ちてしまてしまったわけです。
それこそ目の前のdesireに抗えず。
小学生で眼鏡デビュー、中学生でコンタクトデビューで視力を矯正するのがデフォルトになり、
最早裸眼では日常を送れぬ身となっているわけですが、
(おそらく今や視力0.01くらいだと思うんですが)
かといってレーシック手術などには抵抗があるのですよね。
単純に眼球にメスを入れることにも抵抗があるのですが、
あの裸眼で見るぼんやりした世界を失うのが勿体ないような気がするのですよね。
朝起きていきなり鮮明な視界が広がる状態が想像出来ないというか、
せめて始まりくらい朧げな視界でいさせて欲しいというか、
見るという行為にアイドリングの時間が欲しいというか。
醜いものや恐いものや酷いものが溢れる現実を
束の間近眼フィルターで隠したい時もあるものです。


RCサクセションの歌に「眼鏡を外して星を見るのさ〜」という一節があり、
私も真似して眼鏡を外して星を眺めてみたことがあるのですが、
あまりにぼんやりして星も雲も街灯も夜の闇に掻き混ぜられたかのようであり、
珈琲に砂糖とミルクを溶かしてスプーンで混ぜたような世界はそれはそれで美しく、
世界は何もかも明らかにならなくても構わないんじゃないかと思ったりしたものです。
たまに夜中目を覚ましトイレに行く時に、
横山やすしよろしく眼鏡眼鏡と探るも見つからず、
裸眼でよろよろと向かう時には
「神よ鮮明な視界を我に与え給え」と思ってしまいますが。
漫才中、きよしからの強烈なツッコミに眼鏡を飛ばされ、
眼鏡眼鏡とそこらを探るやすしの視界には何が見えていて何が見えていなかったのでしょうか。
芸能界に輝く一番星は見えたのでしょうか。
彼の視界に想いを馳せながら裸眼で遠くを眺める私です。