妖怪のいる風景

猫が家にいるとついつい猫を見てしまうもので、退屈そうにしていたり何かを一身に見つめていたり、眠そうにしていたりこちらに甘えるような素振りをしたり、いきなり走り出したり飛びかかったり、何と言うか自由そのものなのであり、仕事もせんとこんな自由に日々を謳歌出来るなんて羨ましいものだと思うと共に、猫には学校も〜試験も何にもない〜とゲゲゲの鬼太郎の主題歌の猫バージョンがつい脳裏に過るのであり、つまりそれは猫と妖怪やお化けの類いは同等の扱いになるということなのかしらという疑問に繋がるのですが、人間様の気を惹く存在であるという意味に於いては妖怪やお化けと同等なのかもしれぬと思ったりしているこの頃です。人を惑わす罪なやつなのです。猫様は。
先日、ネットで国会中継を見ていて、集団的自衛権行使を可能にする安保法案が強行採決されるのをリアルタイムで目にし、明らかに違憲で、明らかに国民の理解も得られていない法律を(それ総理自身も認めて明言しちゃってるのに)強引に押し通す我が儘なその手法に呆れ返ると共に、民主主義って何なのか、憲法って何なのかとそら恐ろしさを感じぞっとしたのですが、人間界の常識が通じない悪い意味で自由なその振る舞いは妖怪やお化けの類いと同等なのかもしれないと思ってしまった私です。鬼太郎ならビンビン髪の毛センサーが反応しているところでしょう。「危険な妖怪がいる!」と。集団的自衛権を持ってこそ平和に繋がると信じて支持する人もいるでしょうし、色々な意見があって勿論構わないのですが、充分な意見交換の末の判断とはまず言えないわけで、こんな状況がまかり通るとはおかしいと思わざるを得ません。妖怪の跋扈する世の中に成り果てたのでしょうか。質問とかけ離れた曖昧な答弁を繰り返す総理の姿にはアメリカ様にへこへこ媚諂うねずみ男のような卑しさと汚さしか感じませんでした。漫画では鬼太郎が懲らしめるところですが、鬼太郎もいない世の中では我々が声を上げるしかないわけです。ビビビという水木先生独特のビンタ音と共に鬼太郎に懲らしめられるねずみ男の様を思い浮かべながらニュースに耳を傾けていた一日でした。
妖怪やお化けの類いにも色々な種類がいる模様です。猫を傍らにそんなことを思うこの頃です。