小沢健二の武道館(完璧な絵に似た)

ちょっと前の話になりますが、小沢健二の武道館公演を見に行って来たのです。正直ここ数年オザケンへの興味は薄れており、前回のツアーも見逃しているし、シングル「流動体について」こそ一応CDを買って聞いてみたものの、その後発表されたセカオワとのコラボや映画主題歌といった新曲群はCDを買いもしなければ試聴もしていないといった体たらくで、オザケン大学というものがあるならとっくに卒業している状態だったのですが、熱狂的オザケンファンである知人のニコさんがあやと私の分までチケットを取ってくれたので、「まあ見てみっか」と割と期待しない感じで武道館へ赴いたのです。
現地でニコさんと合流して席に着いてみると2階の割と見易い位置で。ステージにたくさん配置されたカホンを見ながらそういえば今回は36人編成なんだってな、女優の満島ひかりがボーカルで参加するんだってな、と得ていた前知識を話すと、すでに国際フォーラムで今ツアーを体験済みのニコさんが「今回は見どころいっぱいだよ!」などと煽るのです。しかも手にはライトの付いた針金を巻いているのです。スイッチを押すとキラキラ光るというグッズのひとつだそうで。そんなご陽気なグッズまで入手しているのかと驚いていると「シャボン玉も買ったよ」などと言うのです。あやも一緒になってライトを腕に巻き「わ〜い、オザケンだ〜」などとはしゃいでいるのを横目にしながら「浮かれよってからに!」と半分冷めた目で見ていたのですが、そうこうしているうちに客電が落ち。ふっと暗闇になると客席中にキラキラした色とりどりのライトが輝く光景が広がったのです。そう、お客さんみんながグッズのライトを巻いて点灯させているのです。その光景を見ていると飛行機の中から真下の街の灯りがキラキラ瞬くのを眺めているような感覚になり、正直「うわ、綺麗や〜」とぐいと冒頭から引き込まれてしまいまして。そしていざ演奏が始まるとオザケンによるラップのような語りのような言葉が放たれて。これが噂の新曲かと思いながら聞いていると下北沢シェルターだの耳馴染みのある単語が聞こえ、すでに1曲目から己の90年代を回想するモードに入ってしまい。そこへ「ラブリー」がなだれ込んで来たのだから大変です。己の90年代が思い出フィルターを通り現代に降臨し、私の脳を刺激するのです。テレビで見る最近のオザケンはおじさんになったなーという印象だったのですが、遠目に見るオザケンは全然老け込んでいるようには見えず(遠いからというのもあるのでしょうが)動きもキレッキレで、全盛期の王子の如き輝きを取り戻しているような印象でした。しかも声が出てる出てる。そんなに語尾伸ばす必要ある?というくらい声が出ているのです。今回は客席に親子連れが多く見られ、私の目の前にも子供2人とお父さんお母さんというファミリーがいたのですが、おそらく90年代に恋人同士であった2人が家族になったのでしょう。「ラブリー」で歌われた英語部分が「完璧な絵に似た」という日本語詞に変わって久しいですが、家族が一緒になってオザケンの音楽で歌って踊って手拍子を鳴らし楽しんでいる光景の多幸感を目の前に「これこそがまさに完璧な絵じゃないか!」と思わず唸ってしまった私です。そして続けて歌われた「僕らが旅に出る理由」を聞きながら、その歌詞の素晴らしさに改めて「うわ〜名曲だなあ」と思い、早くも落涙に至ったのでした。さっきまで「オザケン大学は卒業してるしな」だの言い、ニコさんたちの腕のライトを半ば馬鹿にさえしていた私が落としてしまったのです。己の涙を。その後も惜しみなく名曲の数々を怒濤の如く披露するセットリストに私はただただ歓喜し(「ある光」「春にして君を想う」が聴けるとは!)、ひたすら身を委ねていたのですが、思ったのはとにかく歌詞が素晴らしいということで、36人編成でフルオーケストラを従え満島ひかりをボーカルに迎えサウンド的にも随所に聴き応えがあるにも関わらず、それらのサウンドを掻き分けてまず言葉が真っ先に胸に突き刺さって来る感覚があるのですよね。先ほど90年代云々と書きましたが、歌詞に関しては少しも古びた感じがなく、この人は本当に言葉の人なんだなと今回改めて思いました。「流動体について」のCDを最初聴いた時は「ドラムの音色が好きじゃないなー」とか色々ネガティブなことも思ったのですが、今回ライブで聴いて改めて「歌詞がすげえ」とやはり言葉に感動を覚えました。「宇宙の中で良いことを決意する」というフレーズの壮大さたるや。ライブの終盤で歌われた「強い気持ち・強い愛」もあまりの感動に落涙に至ったのですが、それもやはり歌詞に由るもので、「大きく深い川 君と僕は渡る」というフレーズが放たれた瞬間に目前に川が現れ、その濁流を掻き分けて歩みを進める己のイメージが立ち上がり、メロディーの高揚感と共に私は心打たれてしまい、「うわ、もうオザケンは天才詩人だわ〜」と白旗を挙げるに至ったのでした。
振り付けをバックのメンバーが一緒にやったり、シャボン玉を吹いたり、メンバー紹介にフレーズを加えたりと演出は細部にまで行き届いており、出ずっぱりの満島ひかりはオクターブ上を歌ったりハモったり節回しを変えたりなどで男女デュオのキー設定の難点を克服しており、傘を差したりオザケンとお揃いの振り付けしたりダンスしたり女優ならではの演技力で魅了してくれて素晴らしかったですね。(「流れ星ビバップ」での赤いシャツと白いロングスカート姿でのダンスには惚れ惚れしました。)「ある光」ではエレキギターを弾くくだりもあったのですが、それもクールでかっこよく。何しろ名曲しか披露されないので飽きることがなく、ただただ時間を忘れて楽しんでしまいました。エンターテイメントとして一流であると認めざるを得ない圧巻のステージでした。オザケンは随所で「東京〜」と何度となく叫んでおり、来日した外タレかと心の中でツッコミを入れていたのですが、小沢健二が原宿だの渋谷だのキラキラした東京の街のBGMであった90年代を振り返りながら「東京かあ」と溜め息をついてしまった私です。青春てやつがそこにあったのです。おじさんになってしまった己にもかつてあったアオハルです。
もうオザケンの音楽は自分の日常に必要ないなと思っていた私ですが、こうしてチケットを入手して(今回は人に取ってもらったんですが)、電車に乗って東京へ出掛けて、非日常の空間で浴びるとやはり素晴らしい体験になるのだなとしみじみ思った私です。周りのお客さんみな手拍子をしていたのですが、音源自体にあらかじめ手拍子が入っている曲はそれに準じたリズムで叩いていて凄いなと思った次第です。私はというと妙な自意識で手拍子が出来なかったのですが、心の中では拍手喝采をしておりました。思い出に残るであろう良きライブでした。