文化遺産、文人墨客、歴史探訪サマー

8月の終わりに夏休みを数日いただき、茨城県にあるあやの母方の実家にあやのご両親と一緒に行って来ました。あやのお母さんの実家が元造り酒屋だったことは知っていたのですが、実際に訪ねてみてその規模と歴史にびっくりしましたね。
その実家は宇都宮線の烏山という駅から車で20分ほどの高部という地域にあるのですが、まず実家の敷地内に歴史を感じさせるレトロな佇まいの3階建ての楼閣がどーんと聳え立っているのが目に入るのです。これが何と地元の文化遺産として認定されているという明治20年建立の「岡山家喜雨亭」だそうで。(ちなみに岡山はあやのお母さんの旧姓です。)水戸偕楽園好文亭を模して作られたというこの建物は1階が茶室になっており、2階では文人墨客が集い詩を詠んだり宴を催したりしていたそうで。母の実家が酒蔵と聞いてあやの酒好きはここがルーツかと思っていたのですが、詩を詠んだり宴を催したりというのも受け継いでいるんだなと実感した次第です。3階には当時としては珍しいステンドガラスなど施されており、そのモダンな作りに感心してしまいました。その楼閣の横には「養浩園」という膨大な敷地の庭園があり、美しい木々や池などが配置され、稲荷様を祀った祠などもあり。祠にも立派な彫刻の意匠が施されていて見事なのです。また酒を製造、保管していた蔵もそのまま現存しており、歴史的建造物ありすぎ〜、そして残りすぎ〜、どんだけ〜と見学しながらつい興奮してしまいました。実家が文化遺産とはどんか気分なのでしょうか。
実際の住居の方も昭和からそのままと思われる佇まいで。歴史ある民宿のような広さと立派な作りで。詩や句を詠んだとおぼしき掛け軸や屏風などがいくつも飾らせており、年季の入った壁時計など骨董がそのまま残されているのです。建物は部屋や酒を販売する店舗など後からあちこち継ぎ足したような作りで、部屋数がいくつあるのかわからぬほどの大きなお屋敷なのです。横溝正史の映画のロケで使えるなという感想をまずは抱きました。(だとすると殺害されるのはこの蔵かなとか、庭の池かなとか、祠付近かなとあれこれ撮影プランも浮かびました。)あやは幼少の頃、この家の離れのある廊下の先に別世界への入り口がある夢をよく見たそうですが、さもありなんです。子供にしてみたらこんな楽しい遊び場はないでしょう。巨大な迷路みたいな空間でかくれんぼのし甲斐があるというものです。
今は親戚のおばさまがひとりでここに住んで全部を管理しているのですが、市の職員が楼閣の掃除を申し出たり、京都の庭師さんたちが庭園の手入れを申し出たりしているそうです。みんな文化遺産を守らねばという気持ちになるのでしょう。よく取材や見学の申し込みもあるそうで、事前にアポを取れば見学も可能なそうなので、興味を持たれた方はいかがでしょうか。
そんな文化遺産のある元造り酒屋の邸宅でおばさまの美味しい手料理をたらふくご馳走になりました。夕方にはみんなで蚊取り線香持参で墓参りもし、田舎の夏休みを堪能しました。田舎あるあるの定番として、食べる以外には特にすることもないのでやがて寝るわけですが、何しろ横溝正史のロケで(私の中で)お馴染みなお屋敷なのです。暗くて怖いのです。何かがいそうな暗闇満載なのです。怖がりのあやに「階段の陰に白い着物姿の髪の長い女性が立ってたよ」とか「屏風から視線感じるなと思ったらおかっぱ頭の童子がこっち見てたよ」とか脅かしてあやをトイレに行かせない活動などに興じた私なのですが、実際幼少の頃あやはこの家では怖くてひとりでトイレに行けなかったそうです。「トイレに行けなくなるからやめて!」「わーわー!」と耳を塞ぐ作戦であやは抵抗していましたが、実際言葉にしてみると私自身が「あれ、何か視線感じるんだけど?」みたいな気分になり、セルフで怖くなっちゃうという落とし穴があるのでこの遊びはお勧めは出来ません。(そういえば寝ていたら誰かが枕元に立ってこちらを見ていたような気配を感じたのですが気のせいでしょうか)
次の日は那珂川沿いで川遊びなどしつつ鮎の塩焼きをビールでいただいたり、黒磯に立ち寄ってカフェでお茶飲んだりしながら帰りました。歴史に触れた夏の一日でした。
岡山家の酒蔵が製造していたというオリジナルブランドのお酒「花の友」をぜひ一度飲んでみたかったです。酒ばかりは建造物と違って後世に残せないですからね。あの粋な作りの楼閣で優雅な庭を眺めながらの酒はさぞかし美味だったことでしょう。幻の美酒に想いを馳せた私です。
あの夜、私の足元に立っていたのはあの頃を知る文人墨客のひとりだったのでしょうか。ならば酌み交わしたかったですね。花の友を。詩のひとつでも詠みながら。