私、平成最後の晩夏に昭和を味わう

そんなわけで佐賀から帰りました。わずか1週間だったのですが、長く感じましたね。
佐賀ではだいたい惣菜など買って部屋で食べていたのですが、たまに外食もしておりました。佐賀でRITMUSというお店をしている北島さん夫妻に美味しい中華に連れて行ってもらい、紹興酒を炭酸で割った上海ハイボールなるものをいただきました。料理に合って実に美味でございました。こういう地元の人じゃないと知らない店に連れて行って貰えるのは嬉しいことです。
その北島さんに紹介して貰った松原うどんという店も良かったですね。病院の奥のガレージみたいな空間にあるカウンター7席だけのこじんまりした店で。その店内の作りがビンテージというか、もう昭和の時代からそのまま更新されてない雰囲気なのです。メニューの張り紙やら店の什器やら歴史を感じさせて。おばあさんひとりで切り盛りしているのですが、このおばあさんがまたジブリ映画に出て来そうな優しい魔女みたいな雰囲気なのです。にこやかな笑顔で素敵なのです。おばあさんひとりで順番に作っているので、うどんが出て来るのが異様に遅いのですが、そこは丁寧に作ってくれている証でしょう。このおばあさん、背が低い上にちょっと腰を曲げているので、カウンター内での作業の様子がこちらからあまり見えず、うどんをちゃっちゃと湯切りするアクションも特に感じられず、でもいつの間にかうどんが出来上がっているので、どうやって作ってるんだろう、天ぷらもいつの間にか揚がっているしなと不思議な気分になったのですが、きっと魔法か何かで作っているのでしょう。そういえば呪文みたいな独り言も呟いておりました。そんな魔法調理によって作られた野菜天うどんは麺も柔らかくつゆも出汁が効いていて美味でした。値段も400円と破格で。こんな佐賀の小さなうどん屋に魔女がいたとは驚きです。
去年佐賀に来た時にもおそらくほぼ常連しか来ないであろうビンテージ食堂に入ったのですが、今年もそういう古い店を1軒見つけて入ってみました。経年を感じさせる暖簾から見ても歴史がありそうです。まず入ったら店員のおばちゃんに「うわあ」と少し驚かれたのですが、常連じゃない人が入って来たことにびっくりしたのでしょうか。ここの店内も昭和から更新されていない作りなのですが、少し雑多で小汚い印象なのです。古い雑誌とか新聞とかが無造作に置かれており。田舎の親戚の家の感じが半端ないのです。夫婦で昔から経営している店と思われ。とりあえず瓶ビールを頼んだのですが、これがまた微妙にぬるく。キンキンに冷えてなんぼのビールなのになあと思いつつ次に冷奴を頼んだのですが、あらかじめたっぽたっぽに醤油がかけられており。奴が子供用プールに足元を浸らせているかの如く醤油に浸っているのです。間違えてかけ過ぎたのでしょうか。醤油の量はセルフでお願いしたかったなあと思いつつも、ひたひた醤油奴とぬるぬる瓶ビールが旅に来た感を味わえて、妙に落ち着く感じでしたね。若干の哀愁も味になるというか。あと野菜炒めも頼んだのですが、おばあちゃん家で日曜の昼に出して貰ったような懐かしの味でこれも良かったですね。美味くもなく不味くもなく。途中で常連客が入って来て会話が始まったりなどの光景が見られ。テレビでは鶴瓶の家族に乾杯を放映しており、私はひとり遠く離れた佐賀で家族に乾杯しておりました。
食べ終えて店を出る時に店員のおじちゃんがわざわざ出口まで追いかけて来て、何だろうと思ったら「お客さん、もしかして新聞記者の方ですか?」と聞かれ。あまりの想定外の問いに戸惑いつつも「いや、違いますけど…」と応えたのですが、あれは何だったのでしょうか。私は普通にTシャツ姿だったし、メモも書いてないし、おじちゃんに取材らしきこともしてないし、どこに記者要素を見出したのでしょうか。あまりに妙な質問で帰り道に反芻しながら笑っちゃいましたけどね。ひょっとしたら何か面白いネタがあったらブログに書いてやろうという私のジャーナリズム精神を嗅ぎ取って「む、こやつは新聞記者かっ」と判断したのでしょうか。だとしたらある意味鋭いですけどね。
おばちゃんの方が野菜炒めを作っていたのですが、普通にフライパンをがっしゃんがっしゃんしていたので、ここは魔法調理ではなかったようです。魔法の部類に入るのはかけ過ぎの醤油と私のジャーナリズム精神を見抜く目くらいでしょうか。
昭和の香りを残すビンテージ食事処を佐賀で堪能した平成最後の晩夏でした。平成時代を丸ごと昭和のまま乗り切るのだから、昭和って長い時代だったんだなあと実感しますね。次の年号になってもきっと昭和のままなのでしょう。むしろそうであって欲しいとさえ思う昭和生まれの私です。