猫たちのディスタンス

気が付けばもう4月も後半、もうすぐGWに突入なのです。自粛生活していても以前と同じように時は過ぎるし、猫は可愛いのです。社会の歯車に微小な異物が挟まりギシギシと軋んでいるのに、以前と同じように回ろうとしている違和感を覚えながらも猫は可愛いので毎日これでもかと撫でています。可愛いという絶対の価値観が可視化された生き物であるなと実感するこの頃です。みなさんいかがお過ごしでしょうか。

映画やドラマを見ていても「わ、濃厚接触してるよ!」「三密になっちゃってるけど大丈夫?」「ソーシャルディスタンスを保って!」と若干の違和感を覚えるようになっている自分がいて、もうこれからの生活スタイルや価値観をウイルスありきで変えて行かねばならないのだなと思ったりしています。ソーシャルディスタンスという言葉を目にする度にアルフィーの「星空のディスタンス」を思い出し、「もーえあがれ、あーいーのレジ〜スタ〜ンス〜!」と私の心の中の桜井が熱唱してしまうのですが、あの歌は今の時代の距離感を先取りしていたのでしょうか。アルフィーの3人も2メートル間隔で立たないといけないので、ステージワークがやりづらくなりそうです。「星空のディスタンス」を久々に聞きたくなりサブスクで探すもさすがにアルフィーさまも45年も活動してると色々なバージョンがあり、ライブバージョン、バラードバージョン、新録バージョンとざっと確認しただけで5種類くらいあり、オリジナルバージョンを求めてしばしサブスクの海を航海したのですが、この3人は愛のレジスタンスを燃やし続けているのだなと感心してしまった次第です。(後で調べたら9バージョン存在するそうです)。
今流行りのズーム飲み会というものをあやがやっていて、私も横にいるので映り込んだりして「ウェーイ!」とかやったりしているのですが、未来だなあと思ってしまいますね。人は何かしらの手だてを使って繋がりたい生き物なのです。まあ我々のような酒飲みは単に飲み会がしたいだけであって、そんな高尚なものでもないのかもしれませんが。リモートで酒を飲んで会話することは可能ですが、酒場独特の雰囲気とか店主とのやり取りとか、「次はこれ頼もうかな」という選択とか、何より美味しい肴を目の前で出してくれる喜びは生まれないので、やはり酒場に行きたい欲は消えないですね。喫茶店とかもそうですが、場所や空間の大切さも実感しているこの頃です。場所に集まるという行為の崇高さよ。吉田類も放浪出来なくてうずうずしているのではないでしょうか。自分がよく行く酒場は休業しているのか、情報を探すも大衆酒場はSNSとかホームページとかもないし、そこに出入りするお客さんもSNSをやっていない例が多く、あの店大丈夫かなあとあちこちの場所に想いを馳せながら自宅で酒を飲んでいます。休業を要請するならきっちり補償もしてくれないと!国は何やってるんだ!と、結局政治不信に落ち着くので精神上よろしくないのです。史上稀なる愚作であるマスク2枚配布は完遂さえ出来ていないという体たらくだし(結局利権か、と我々は何回失望すれば良いのでしょうか)、このまま延々と中途半端な自粛要請だけでは感染拡大防止も出来ないし経済も細るし、何だかなあと沈没する船の上で星空のディスタンスを見上げている私です。
それでも毎日物を作って何だかんだ忙しく過ごしています。通販が出来るというのが我々物を売る人間にとって命綱になっています。本当に物流に携わってくれる方々には感謝しかありませんね。自分に出来ることを粛々としていくしかないなと思いながら猫を撫でています。毎日あやとミル坊とココ坊が3匹寄り添っている光景を見ていると、うちのアルフィーはこのディスタンスで良いのだなとほっとします。自粛生活が続こうとも猫は可愛い。それは絶対変わらないのです。

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