猫カレンダー、毛繕う日々

気が付けばGWも終わっておりました。ほぼ自宅にいたし、これからもほぼ自宅にいるので何ら生活に変わりはないのですが、何となくひと段落と思ってしまうのは自粛要請が当初GWまでだったからでしょうか。結局要請は5月末まで延長になりましたが(自粛を要請するという言葉自体おかしいし、それを延長するというのもおかしな日本語ですが)、何を根拠に末までなのかわからぬのです。結局カレンダー上で区切りが良いからということなんでしょうか。人様はカレンダー上で動かされている生き物なのだなとつくづく思わされますね。カレンダーから削除され文字通り白紙になった中身のない思い出を抱えて我々は5月を過ごさねばならないのです。

近頃ココ坊は私の背中に乗り私の髪の毛をぺろぺろと舐めて来るようになったのですが、毛繕いのつもりなのでしょうか。「ゆうくん、毛を繕って上げるね!(ドヤ顔)」という感じなのでしょうか。髪の毛も切りに行けないのでかなり伸び切っており、舐めるのも大変でしょう。このままココ坊を肩に乗せ旅にでも出たい気分ですが、それもかなわないのが残念です。猫たちも我々が家にいる時間が長いので、より親密になっている気がします。喉をゴロゴロ鳴らす音は世界一幸せなサウンドではないでしょうか。動物に身を委ねられるというのは人類が信用を得られたというような感覚で、えも言われぬ感動があるものです。世界中の猫よ、その喉を鳴らすのだ。
ブックカバーチャレンジというものがインスタで回って来て、この手のバトンを誰かに強いるのも何だしと思い次の人には回さずに7日間1冊ずつ本を紹介したのですが、日頃インスタにはミル坊ココ坊の姿かコレクションしている猫ジャケレコードの写真くらいしか載せていないので、本の方も猫縛りにしました。猫が表紙に載っている、タイトルに猫が付いている本です。気付けば本棚には猫の文字がたくさん並び、自然と好きな物を手に取ってしまうのだなと思ったのですが、改めてそんな猫の本を読み返したりしています。傍らに寝ている猫を撫でながら猫の本を読み、猫ジャケのレコードを聴いているとただただ猫に満ちているな自分は、と気付かされます。猫に満ちるための人生。猫風呂があればそこに浸かりたいくらいです。みゃあみゃあと鳴かれながら。引っ掻かれて「痛っ!」などと言いながら。
自分のソロユニットであるfishihg with johnのアルバムを作ろうとここ10年くらい作業しているのですが(出す出す言い続けて出す出す詐欺みたいになって久しいのですが)、いよいよ出せそうな雰囲気が漂って来ました。気配を感じるのです。そっと近付く猫のような静けさで。ただただ一心に毛繕いをする猫のようなテンションで作業をしています。こんなに時間をかけてアルバム作る人っているのだろうかと思いながら6年前に作ったトラックに音を重ねたりしています。6年前の自分も驚いていることでしょう。この曲まだ完成してないんかいと。他の方とコラボしてすでに出来ているものもあれば、まだ頭の中だけで鳴っているものもあります。現在草テンの録音でエンジニアをしていただいた上野さんにリモートでミックスをお願いしているものもあります。それこそ猫がひょっこり顔を出す感じで出したいと思ったりしています。どうせなら可愛く顔を出したいものですが。にゃあなどと鳴きながら。
長いような短いような、曜日や時間の感覚もあやふやになりつつあるこの頃ですが、猫のカレンダーってそんな感じなのかもしれません。取りあえず白紙の日々に何かを記しながら生活しています。そんな5月です。

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