写真と記憶、ビート

気が付けば上半期も終わり下半期に突入です。本当に早いのです、時の流れは。日々慌ただしく過ごしているうちにあっという間に1年なんて経ってしまいますね。8月が終わったらもう年末というプチ鹿島氏の名言をいつも思い出しながら過ごしています。

この間実家から小中高時代の卒業アルバムが送られて来たのですが、みなさん卒アルって手元に保管しているのでしょうか。実家に置きっぱという方も多いかと思いますが。「そつぎょう〜しゃしーんのあのひとは〜」とユーミンよろしく見返すこともないし、「懐かしいな〜」なんて過去を振り返ることもこの先ないと思われたので、全部紙ゴミの日に「え〜い!」とダンクシュートの如く叩き付けて処分してしまったのですが、妙にすっきりとするものですね。卒アルを捨てちゃうと。当時は個人情報なんて概念がなかったし、生徒や教師の名前や電話番号、住所も全部掲載されていたので、その部分だけは一応こちらで処分しましたけどね。今や写真は撮ってすぐネット上でシェアする時代ですが、卒アルもある種のシェアといえばシェアなのでしょう。しかし過去からのシェアは時に処理に困るのです。もう過去など振り返らないと書くとかっこつけかもしれませんが、あのかさ張るものを本棚に入れておく物理的な余裕がないのです。本棚には好きな本や新しい本を入れたいのです。
卒アルと共に幼少期や学生時代の写真もたくさん送られて来たのですが、まず今後見返すこともないし、これをデジタル化して保存する暇もやる気もないので、おそらく処分することになるのですが、スマホやデジカメで撮ってすぐPCやハードディスクにデータを保存出来る現代ってめっちゃ便利だなあと思いますね。今撮っているうちの猫どもの写真もデジタルで残ることになると思いますが。
過去に撮ったものでは旅行先の観光地やお祭りなどイベント時に撮った写真よりも、フィルムが余っていたので何となく自宅前で撮ったみたいな何気ない写真の方が味わい深く感じるのはより個人の記憶に近いからでしょうか。当時はフィルムを使い切らないと勿体なくて現像に出せないからと雑なスナップを撮る機会がよくあったのですが、その雑さの方に愛おしさを感じます。でももう見返す必要がないなと思ったのは自分の記憶の中に人物や風景が残っているからでしょうか。今回たくさんの過去の写真を眺めて、心に残っていたらそれで充分なんじゃないかと思いました。金八先生の名言「心のフォルダに保存」を実践してるじゃん自分、と驚きましたが。
最近はインスタグラムのストーリーズにちょこちょこ投稿しているのですが、24時間で消えちゃうし、その日見たものや会った人などを気軽にシェア出来て、何かこれくらいでちょうど良いなあと思っています。残したい写真は本投稿すれば良いし、書きたいことがあればこうしてブログに書きますしね。
高校時代に組んでいたバンドのライブ写真も出て来たのですが、当時私はベースを担当していて、ひたすら速いエイトビートばかりを刻んでいたなと思い出しました。そして2021年の現在、買ったばかりの新しいベースを弾いてゆったりとしたビートを刻んでいる自分がいます。今を生きていれば過去も自然に付いて来るものです。

今回卒業アルバムを卒業したという、そんなお話です。

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