パラレル五輪、猫の時間

気が付けば8月も半分終わってしまいました。本当に早いのです。あっという間に時が過ぎてしまうので、自分は人ではなく猫の時間で日々を過ごしているのではないかとふと思うことがあります。猫は人間の5〜6倍で時間が過ぎていると聞きます。そう考えると猫があくびをしたり毛繕いをしたりにゃあと鳴いたりする全ての行為が尊く思えて来ますね。

7月は中国や香港やマカオや台湾などアジア界隈の店やお客さんからの注文が増え、「あれ自分、アジアでプチブレイクしてない?」とプチ喜んだりしたのですが、実際注文を捌くのに忙しく、プチ喜ぶ余裕もなく日々がすぐに過ぎて行きました。オリンピックなる催しもいつの間にか終わっておりました。元々スポーツにあんまり興味がないし、家にテレビがないのもあり、本当に1秒も見ないまま終わったので、それこそIOC言うところのパラレルワールドの出来事のようでした。丸川五輪相言うところの別な地平の視点ってやつなんですかね。それでもどこぞの市長が金メダルを齧る醜悪な画像は何度も目にしましたけどね。彼は「ゴールドイーターたかし」とかいう間抜けな異名でも名乗れば良いと思います。
五輪関係のニュースはそれこそ始まりからどれも醜悪で、招致に伴う賄賂やエンブレム盗作、関係者による前時代的な舌禍の数々(本当に森の爺様は何とかした方が良いと思います)、開会式にまつわるゴタゴタなど聞くに耐えぬものばかりだったし、このコロナ禍に海外から大人数を集めて運動会をやるなんて狂気の沙汰だと思っていたので、こんな電通パソナが儲かるだけの利権まみれの催しに4兆円も費やしただなんて呆れてものも言えぬといった気持ちです。アスリートと同じく我々市民も日々命を懸けて生きているのです。そして五輪以前に政府はコロナ対策に明らかに失敗しているのです。五輪は安心安全だなんて嘘の極みです。まずは優先してコロナ対策に命を懸けるべきだったと思います。状況的に延期という判断もあり得たと個人的には思っています。
そんな五輪反対派の私ですから、開会式に自分の好きなクリエイターが関わっていると知った時は少々がっかりしたというのが正直なところです。小山田圭吾小林賢太郎両氏のことですけどね。小山田氏の問題のQJの記事は当時リアルタイムで雑誌を買って読んでおりました。大きな書店で平積みにされていたのでそこそこの部数は売れていたのでしょう。読んで相当悪趣味な記事だなと思ったし、「小山田って性格悪い嫌な奴だな〜」というざっくりな感想を抱きましたが、当時はSNSはおろかネット環境すらなかったし、誌面に葉書を送って抗議というまでの熱量は自分には起きませんでした。時代的にも炎上という現象には至らなかったのでしょう。今程コンプライアンスという概念も薄かったでしょうし。フリッパーズの頃から生意気な態度を取るキャラという印象だったし、お洒落だけど悪趣味な要素を盛るみたいな自己演出や、ある程度サービスで大げさに話している部分もあるのだろうという理解がありました。まあ25年前の記事なので私も正直詳細をすっかり忘れていたのですけどね。でも改めて読み直したらおよそ擁護し難い内容で、いじめは厳然たる事実ではあるし、五輪という世界的な大会に関わる立場としては辞任は妥当だし、批判は致し方ないと思いました。25年前から時代は変わったということをつくづく実感しました。当時はあの記事が許されていた牧歌的な時代であったという認識です。何で彼はあんなことを誌面に残したのかなあとつくづく思います。とはいえ元記事すら読まずに刺激的な部分の抜粋だけを目にして、正義を盾に彼を完膚なきまでに叩くネットの大多数の声は見ていて酷いなと思ったし、それこそ逆にいじめの様相になってやしないかと思いましたけどね。この問題は度々ネットでも蒸し返されていたし、ちょっと前にエレキングから出たコーネリアスの特集本でもこの記事に関して何の言及もなかったので、今回を機に公式に謝罪の言葉が彼から出されたことはファンとしてはちょっとホッとしたというか、良いことだと思いました。エレキング編集長の野田氏が「あの本の編集中にこの記事のことを知っていれば本人に直接聞けたのに」と発言されてましたが、この件についての彼の現在の思いがあの誌面に載っていればここまでの炎上はなかったのではないかと思いました。
あと小林賢太郎氏の件ですが、私はあのネタ自体を見たことがなかったのですが、ユダヤ人大量惨殺ごっこという文言は不謹慎過ぎるし、ホロコーストについて触れるのは完全にアウトなのでこちらも立場的に解任という判断は妥当だし、世界的な批判も致し方ないと思いました。でもあのネタ全体の構成を見ると「NHKで取り扱ったら駄目な事例」としてホロコーストを挙げているわけです。決してネタ中でそれを肯定しているわけではないのですね。それなのに「ホロコーストを賞賛するネタをやっていた」みたいな雑な紹介をしている媒体があったり、やはり元ネタを見ずによく知りもしないまま抜粋だけを目にして正義を盾に彼を叩くネットの声が溢れていて、見ていてやはり心苦しいものがありましたね。小林賢太郎のその後作られたネタを見ていれば彼の謝罪文にあるように「人を傷つけない笑い」へシフトしていったのは明らかだし(その言い回しはいかがなものかとは思いましたが)、ラーメンズはこれまでの本ネタを全てyoutubeに上げていて、その広告収益をすべて災害復興支援に寄付しているのは知られた話ですが、そこにあのネタは勿論上がっていないわけです。私的には彼らはあのネタをとうにボツにしていたのだという認識でいます。あのネタがソフト化されて流通していた牧歌的な時代があったという事実にやはり時の流れを感じました。彼が謝罪文で言っていた通り若さ故の無知であったのだろうし、私ら受け取る客も当時は無知であったのでしょう。開会式の様子は聞くところによるといかにもコバケン演出といった感じだったし、キャストも「これまんまカジャラじゃん!」といった並びでした。私的には彼がこれだけケチの付いた五輪に関わっていること自体が残念だったし、この炎上した後に解任という事態も残念だったし、色々複雑な思いもあり開会式は結局見ませんでした。(そもそも家にテレビがないので見られなかったのですが。)このふたつの騒動が開会式直前に怒濤のように起こり、もう気持ち的に整理がつかないよという感じでした。ただただ残念でした。
著名人の過去の失言や不適切な行為を理由に地位から下ろしたり排除したりする所謂キャンセルカルチャーはSNSの普及で加速した感がありますが、それにより差別や偏見、ハラスメントが糾弾されるのは良いとして、その攻撃性と不寛容さは正義を盾にしている分、暴走すると危険な感じもします。(本当によく知りもしないのに乗っかって叩いている人の多いことよ。)無知であった過去の誤った行為のみで、その人の現在と未来を閉ざして良いものかという思いもありますし。またこういうことがあると表現の自由を萎縮させる一面もあるでしょうしね。竹中直人氏も開会式直前に降板したそうですが、それも過去の不謹慎なネタが理由だったと聞いています。不謹慎、ブラックなお笑いが完全に排除されるのは果たして本当に健全なのかという思いもあります。それで言ったら落語も現在のコンプラ的にアウトなネタいっぱいありますからね。

あと小山田氏に関して言えばコーネリアスフジロック出演がなくなったり、彼の所属するMETA FIVEのアルバムが発売中止になったり、仕事を根こそぎ奪うのは果たして正しいのかという思いもあります。清廉潔白な人間などどれだけいるのかという話ですし。裁くのはあくまで法ではないのでしょうか。(まあフジロックに関しては彼もしばらく公の場に顔を出したくないでしょうが。)私は小山田圭吾小林賢太郎の作る作品が好きなので、個人的には今後も作品を楽しみにしたいと思っていますけどね。
あとスポーツが大好きで五輪での選手の活躍に感動する人のことは全く否定する気はないし、それはとても美しいことだと思っています。私が疑問を抱いているのはあくまで政治の問題ですので。アスリートを攻撃するのはお門違いも甚だしいと思っています。あとナチスの手口に学んだ方が良いなどと発言していた麻生の太郎くんが辞任しないのはおかしいんじゃないかと一方で思ったりしています。(こちらはコバケンよりも悪質だと思っています。)
コロナ感染者増大を憂うニュースと日本選手のメダル獲得を祝うニュースが共存するのを目にしながら、私はどっちのパラレルワールドに生きているのか、どっちでもない猫の世界で猫の時間を過ごしているのか、くらくらしながら五輪の夏を過ごしました。
生きているだけで金メダル。うちの猫たちを見ながらそんなことを思いました。まあ猫に小判とは言いますけどね。

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