追憶のチャーリー、永遠の半券

チャーリー・ワッツが亡くなって以来、ずっと家にあるローリング・ストーンズのレコードを聴いていて、「あー、あのアルバム持ってなかったなあ」と思い出してはそれを買いまた聴くといった感じで、改めてストーンズにハマっています。本当にかっこいいバンドだなあとしみじみするばかりです。ストーンズの曲をチャーリーのドラムで聴けない日がやって来るなんて。(ちなみにジャニーズにもストーンズというグループがいますが、世界的に有名なロックバンドと同じ名称を付けるって何考えてるのかなと毎回名前聞く度に思います。)

私はストーンズの来日公演を90年、95年、14年と3回見に行っており、14年の時は「今後メンバーの誰かが死んじゃうかもしれないから」という不謹慎な理由からだったのですが、結果的に最後にチャーリーのドラムを生で聴けて良かったなと思い返しています。彼のハイハットとスネアを同時に叩かない独特な仕草をよく真似したものです。「She's a rainbow」のサビのドコドコと疾走感溢れるタム捌きや、「Angie」の「アンジ〜」と歌う直後のシュッという鋭いハイハット、「Midnight rambler」のグルーヴィーなドラミングも忘れられません。
彼らの95年の来日公演時のパンフレットが手元にあったので見返したら当時の新聞や雑誌の記事の切り抜きが挟まっていて、昔はよくこういう切り抜きを取っておいたなあと懐かしい気持ちになりました。今や新聞も取っていないし、雑誌も買わなくなったし、記事を切り抜く行動も起こさないですしね。95年というとまだネット環境がなく完全に紙文化だったのもあるのでしょうが、好きな物に関する記事を手元に集めたいという情熱があったのでしょう。大手新聞の文化欄に載っている特にたいしたことも書いてないライブ評もありがたく切り取っていて、当時の五十嵐青年は「わ、新聞にストーンズのことが載ってる!」と興奮してハサミを取り出し、ジョキジョキと丁寧に切り取ったのでしょう。ロックとは程遠い可愛い行動に思えるのですが、何かええやん、そんなん好きやでと当時の自分に思った次第です。
昔知り合いから借りたCDの歌詞カードにそのアーティストのコンサートチケットの半券が挟まっていたことがあり、私も同じことをしていたのでその人にぐっと親近感が湧いたことがあるのですが、半券も切り抜きと同じく貴重な記憶の欠片でしたね。最近は取っておくこともなくなりましたが。今は別に記憶として心の中に残っていればええやんくらいの気持ちでいるのですが、貴重なライブを見た興奮を何とか手元に残したいという情熱が昔はあったのだなと思います。半券の良いところはその半分は会場に残して来たということでしょうね。もぎられて捨てられたにせよ、当日その現場に落として来たという。その持ち帰った半分を歌詞カードに挟んでおくなんて行為は電子チケットでは出来ませんからね。まだチケットぴあの味気ないデザインになる前の個性的なデザインのチケットの半券とかが高値で取引されているのを見ると、そういうロマンは誰にでもあるのだと思います。
チャーリー・ワッツのドラムを聴きながら、自分はあの時の来日公演のチケットの半券を心にずっと残したまま過ごして来たのだなあとしみじみしました。これからもたくさんのライブや舞台のチケットの半券を心に残していきたいものです。何しろ「時は誰も待ってくれない」のだし。「Time waits for no one」の時を刻むようなチャーリーのリムショットを聴きながらそんなことを思った私です。(写真は中学の時に初めて買ったストーンズのレコードです。)

f:id:fishingwithjohn:20210909082137j:image
f:id:fishingwithjohn:20210909082139j:image