ハニーとスティール・パン

先日、四谷にある東京おもちゃ美術館に張子の追加納品に行って来たのですが、
(ここの物販コーナーに私の作品が置いてあるのです。)
そのついでにそこから歩いて10分くらいの民音音楽博物館という施設に寄ってみました。
館内には歴史あるピアノやオルゴールなどが多数展示してあったり、
様々な民族楽器を自分で自由に演奏出来たりとなかなか面白い施設でしたね。
ハービー・ハンコックの愛用ピアノなんてのも展示してあったのですが、
私が行った時ちょうどデモンストレーションの時間だったらしく、
職員のお姉さんがそれでピアノ演奏してくれたのですが、
何故かやったのがアンジェラ・アキの曲で。
別にアンジェラ氏に異を唱えるわけではありませんがハービー・ハンコックからしたら
「何で俺の曲を演奏しないのん?」と言いたくなるんじゃないかと思ったんですけどね。
ちなみに「拝啓、この手紙〜」って曲でしたけどね。
ハービー・ハンコック氏にその手紙出すべきじゃないかとぼんやり思ったりしました。


自由に民族楽器を演奏出来るスペースにはスティール・パンもあったので
おおっと思ってひたすら気持ち良くひとりで叩いていたら、
幼稚園くらいの女の子が隣にやって来てコンガみたいな打楽器を私に合わせて叩き始めて。
おもむろにその女子児童と私との即興セッションが始まり、
音と音との熱きコミュニケーションに二人して身を投じるに至ったのですが、
性差、年齢差を乗り越えた音楽による結びつきってあるのよね、なんて思いつつ
この女子と私とで新ユニット結成か?という新たな歴史の序章を垣間見た矢先、
女子は突如演奏を止め「おかあさーんおしっこー」などと言って駆け出してしまって。
「え、いきなり終わるの?」と呆然とする私をひとり残し
彼女は母親と思しき女性の元へと駆け寄り己の尿意を訴え、トイレに行ってしまったのです。
何の前触れもなく突然演奏を放棄するというのは如何なものかレディーよと私は思い、
尿意を催した場合その予兆を察知した段階で早々に報告すべきではないか、
からしたら「まだ演奏の途中でしょうが〜」と
北の国から'84夏」に於いてラーメン屋でまだ純くんがラーメンを食している途中で
片付けようとした店員に対して五郎さんが「子供がまだ食ってる途中でしょうが〜」と言う、
それと同様のテンションで注意を促したい衝動に駆られたのですが、
冷静になってみれば尿意の前に人はみな平等であるべきなのであり、
彼女の行動も致し方あるまいと結論に至った次第ですけどね。
しかし解せないのはトイレに行った後、さあもう障害はないぜとばかりに
再び熱きセッションに身を投じようとする意志を漲らせていた私を置いて
彼女は「もう貴方には興味ないの。ごめんね」とばかりに態度が冷たくなっているのであり、
私は「えーお兄さんと遊ぼうよう」的な表情を浮かべた未練たらたらな男と化していて、
ひとり虚しくスティール・パンの音を空に放つに至ったのですが、
彼女はもう次の興味へとひらひらと風に乗った蝶のようにその身を移し、
新ユニット結成の夢はそこで閉ざされてしまったのでした。
水に流されたという感じでしょうか。
トイレだけに。
この年頃の女児は「だってなんだかだってだってなんだもん!」的な
キューティーハニー原理で行動するものなので
私は「仕方ないなあ、だってだってなんだもんなあ」と受け入れるわけですが、
子供に冷たくされると妙に寂しいもんですよね。
えー俺が何したっていうんだようーという感じで。


そんなわけでキューティーなハニーに去られ、演奏にも飽きた私は建物を出て、
四谷の町をとぼとぼと背中を丸めて歩いて帰ったのでした。
西日の射す方向へ。
ひとりで。
だってなんだか。
だってだってなんだもん。