山のふもとで犬と暮らしている人へ

清志郎がいなくなった世界に自分がいることにまだ馴染めないというか、
自分は本当に清志郎の歌世界が好きだったんだなあと実感させられましたね。
本当に残念としか言いようありません。
今朝は1時間くらい歩きながらずっとRCを聞いて「Oh!Baby」の中のフレーズ
「ぼくを泣かせたいなら夜ふけに悲しい嘘をつけばいい
ぼくをダメにしたいならある朝きみがいなくなればいい」
に何だか泣けてきてしょうがなかったです。
そうかある朝きみはいなくなっちゃったのかとか思ったりして。


彼のロックスター然とした佇まいや反骨精神にも共感するところ大きいのですが
ナイーブで孤独な詩人である彼の紡ぎ出す気の利いた言葉に私は励まされ続けたし、
これからも糧となり続けるような気がします。
彼女教科書広げてる時トランジスタラジオから流れた音楽に心躍る屋上の光景、
市営グラウンドの駐車場で明かした夜に聞いたスローバラード、
それらの歌から滲み出る男の子特有のセンチメンタルな感覚、
(私は清志郎の歌はすべて「男の子」というワードで括られるような気がします)
それらを胸に響かせてくれた彼に感謝せねばなりません。
彼がいなかったら今の私もないでしょう。


私が清志郎ソングの中で個人的に一番好きなのはRCの「山のふもとで犬と暮らしている」なんですが、
これを聞くと今でも中学3年生の冬の受験の帰り道の夕暮れの光景を思い出すのですよね。
あれから20年くらい経ってるのに鮮明に思い出されるのです。
この曲については過去に長々と書いたのでそちらを読んでいただきたいのですが、
(ほとんど佐藤伸治についての文章ですが。http://d.hatena.ne.jp/fishingwithjohn/20061202
不穏なホーンアレンジとコード感と深いリバーブに包まれた「犬とひとりぼっちな世界」は
彼岸というかあの世というかあちらの世界の幸福感のようにも聞こえ、
「彼は本当にどこかの山のふもとで犬と暮らし始めたのかもしれない」
などと思えてくるのですよね。
どこかの山で犬と一緒に一日中本を読んで暮らす日々。
我々の前から姿を消した清志郎はそんな生活を密かにし始めるのではないか。
今朝この歌を繰り返し聞きながらそんなことを想像してしまった私です。
心よりご冥福をお祈り致します。


「今日は一日 本を読んで暮らした

とても冷える日だった

朝からドアを閉めたままの

あたたかい部屋の中

おまえはストーブの前にのびていた

アクビしかしなかった


一人ぼっち 一人ぼっち

雑種の一人ぼっち

一人ぼっち 一人ぼっち

シッポをたれたままの 一人ぼっち

一人ぼっち 一人ぼっち


心配事は何もない

おまえにだけは

心配事は何もない

おまえにだけは

心配事は何もない

おまえにだけは

おまえは特別なのさ


今日は一日 本を読んで暮らした

とても冷える日だった


おやすみ もう寝よう

明日は山の中 駆け回るんだ」

RCサクセション「山のふもとで犬と暮らしている」)