夕焼けの見方

今日は夕方5時頃やけに空が紅く、外を見やれば見事なまでの夕焼けで、
夕焼けでご飯3杯はいけてしまうくらいの夕焼け好きの私は「おお」と色めき、
すぐさまアイフォーンにて夕焼けっぷりを撮影などしてツイッターなるツールで
「どうだい夕焼けだぜ」とまるで自分の成果であるかの如く披露しようなどと思い
空にカメラを向けるも夕焼けが明る過ぎてどうやってもうまく映らず。
あれれどうしたことかと格闘するも夕焼けは「映させないぜ」とばかりに色を逃がすばかりで。
紅いはずの空が光でどうやっても白く見えてしまうのですよね。
上の方へ向けると雲の部分が紺色に映ったり、なかなか思うように撮れず。
この肉眼で見ている美しい夕焼けが写真には映らないのかと私は嘆き、
これが所詮アイフォーンの限界か、やはりカメラじゃないと駄目なのかと思いつつ
ブルーハーツ歌うところのドブネズミみたいな美しさとはこの夕焼けのことなのかと思い、
「写真には〜映らない〜」とひと節りんだりんだと歌うに至ったのですが、
肉眼で見ないとわからない美しさってあるんだなと実感した次第です。
夕暮れに。
その後しばらくしてツイッターを見やるとその時間帯に「夕焼けがすごい」と呟いている人が多数いて、
へえ大勢の人が見てたんだと思うと同時にあの夕暮れを同じ時に多数の人と共有してたのかと思うと
何だかちょっとした感動みたいなものも覚えてしまった私です。
同じサッカーの試合を見ていたとか映画を見ていたとは別な次元の共有じゃないですか。
夕暮れなんてものは。
ちょっと前も「金木犀の匂いがするなあ」と思ってその旨呟こうと思ったら
他の人たちが同じようなことを書いているので「別に私が書かなくても良いや」と書くのをやめたんですが、
誰か知らない人が「ツイッターのTLが金木犀の匂いで満ちている」みたいなことを書いていて、
なかなか詩的な表現で良いなあと思い、
そういう些細なことを共有するという感動みたいなものをその時もちょっと思ったんですが、
今日の夕焼けでもそう思ったりしたのです。
変な話、世界の終わりを迎える時もこうしてツイッターフェイスブック上なんかで
「世界が燃えているね」
「真っ赤です」
「赤とんぼを思い出すな」
「この色彩ヤバくね?」
「血のよう、薔薇のよう」
「もうすぐ終わるね、世界」
「みなさんさようなら」
「永遠にさようなら」
「いいね!」
などとTL上が世界の終わりで満ちるのを眺めながらそれを共有しながら終わるんじゃないかと
ふと想像したりした次第です。
世界の終わりが紅いのかどうかわかりませんが。


こういうこともツイッターで書けば良いんでしょうが
あえてブログで書くというのが流儀(?)かと思い書いてみた次第です。
明日の夕暮れも美しいのでしょうか。
果たして。