土に還る

今日は絵付け教室最終日だったので、
片付けがてらまた小川町まで運転してきたのですが、
田舎の国道とかには実にいろんなものが落ちていますね。
あれびっくりするんですけど、靴下とか、ベルトとか、
変なものが道路の真ん中に落ちてたりするのです。
運転しててついびっくりして反応してしまうのですが。
で、びっくりしつつもよく見かけるのが
犬や猫といった動物の死体で、
おそらく道路を横切る際に轢かれてそのまま亡くなった。
というのがほとんどだと思うんですけど、
あれを見る度に、あー可哀想になあ、とか思うんですが、
道路はアスファルトなので自然に土に還ることがないのに
どうしていつの間にか姿を消してるのかと
ちょっと疑問に思っていたのですが。
あれは雨風やらによって風化し、
次々と上を走ってゆくタイヤの重みによって
裂かれ、朽ちて、その姿をなくしてゆくのだろうかと。
今日、運転しながら、そういやそういう小説があったなとか
ふと思い出して、家に帰って見てみたのですが、
梅崎春生の「輪唱」という作品中の「猫の話」というやつで、
どういう内容かというと、ずばり車に轢かれた猫の話で。
主人公が可愛がってた猫がある日車にはねられ死んでしまい、
朽ちた後も次々と上を通り過ぎる車のタイヤにくっついて
その死骸の一部一部が東京中にばらまかれてゆき、
主人公はその死骸が姿を消してしまうまでその様子を見ていて、
泣く。という話で、
実際、一昨日くらいに「ああ、猫かなんかが轢かれて死んでる。」
とか思った同じ道路を今日通ったらその形がもうなくて、
どうやって自然に還ったんだろう、と
思っていたわけですが、
その小説を読み返して
「あーあそこで見たあの猫も次々とその上を走り去る車の
タイヤに運ばれてあちこちへばらまかれていったのかもしれない。」
とか思って、その最期に哀しみを覚えつつも、また残酷ながら
そういう葬られかたが現代における「自然」なのかもしれない。
ともちょっと思って。
ひょっとしたら自分の車もその一部を
どこか遠く離れた道路に運んでいったのかもしれない、
なんて思ってみたら、
ついその生前の姿を知らない猫の魂に
合掌などをしてやりたくなった僕なのです。