記事を読みまして

雑誌「KITTEN」を購入して自分の記事を
読ませていただいたのですが、
紙面の大部分が対談相手のグラブスさんの発言で(笑)、
僕は気の利いた事あんまり(ていうかほとんど)
喋っていないので、改めて己の喋り下手っぷりに
がっくしきてしまったんですが(笑)。
(いやーでも的確に
対談の内容がまとめられて読みやすくされているので、
これがプロの仕事かあと改めて感心してしまったのですが。
編集長の詩野さん、ありがとうございました。)
歌を歌わないのか、という彼からの質問に
自信もって「そういうモードになったら歌は自然と
放たれると思います。」とか、答えれば良かったのですが、
「いやーうーん。」とか、曖昧な返事になってしまって、
誤解を与えてしまったかもなあ、なんて思ったりもしたんですが。
(僕の歌声を楽しんで聴いてくれていた方々にですが)
まあある意志を持って今はインスト音楽を選択しているのですが、
グラブスさんもそういうインスト音楽を経て今現在
再び歌を選択しているわけですが、
どういう音楽を自分が奏でるのか
時期や環境によって変わるし、
そういう選択なんかが人によって違う、
という事があの対談であきらかになったかなあ、
とは思うのですが。
(時代の流れも無視できないですが、僕は個人的な
モードによるものだと思うのですが)
でも彼が再び歌に戻る経緯が語られていて、
聞いててなるほどと思いましたね。
紙面には載っていなかったのですが、
「メッセージを伝えるために言葉は必要にならないのか」
という質問に、僕は
「タイトルにそれを込めている」みたいな答えをして、
「それは俳句のようなものです」と、短い詩を
書いているようなものだという旨の発言を僕はしたんですが、
彼はそれは写真に付いているキャプションとは
違うのか、みたいなことを言っておられて、
そこら辺すごく印象深かったのですが、
言葉の重要さを歌うことの意味として
彼はとらえて語っていて、それは彼の見事なまでの
リリックからして非常にうなずけるのであり、
改めて彼の詩を読み返して、感動したりしてしまったのですが。
確かにタイトルを「俳句のようなものだ」という
自分の発言は無理があったかなあとか思ったんですが(笑)。
俳句が無理ならキャッチコピーていうか。
でもそれは詩ではないのですよね。
でも実は詩を書くよりももっと大変だったりするのですけども。
あまりに短いので。
言葉のない音楽に言葉を当てはめる作業が
今の僕には楽しいわけなんですが。
言葉についての僕の思いなんかを
もっと的確に会話に出来れば良かったんですけども。
でも本当にグラブスさん知的で、魅力的な方でしたね。
もっと面白いこと喋れたら良かったのになあ、とか
改めて思いますけども。なんかすいませーんて感じで(笑)。
緊張してましたーって感じで。
でもああいう風に喋るグラブスさんの記事って
あんまりないと思うので、ファンの方には
楽しめるのではないかと思います。
ぜひご覧になってみてください。
写真も良い感じですので。
グラブスさんの人柄が出ていて。
僕は自分の顔見るの恥ずかしかったですけど(笑)。
本屋で恥ずかしくて立ち読みできないんですね、
なんとなく。
他の記事も読み応えありますのでぜひおすすめです。
個人的にはさかなとクラムボンのミトさんの対談が
面白かったですね。