スーパーカーを聴く

『「あたし、もう今じゃあ、
あなたに会えるのも夢の中だけ。
たぶん涙に変わるのが遅すぎたのね。」
「今はどうしても言葉につまるからー
ヒキョウなだけでしょう?
それで大人になれるならつらいだけだよ」』
(「Lucky」スーパーカー


スーパーカー解散しちゃいましたね。残念です。
また好きなバンドがひとついなくなっちゃいました。
でもバンドって結成された時点ですでに解散への
カウントダウンが始まってるようなものですし。
逆に言えばよくこれだけのバンドが
ここまで持続したものです。


僕が初めて彼らの曲を聴いたのが
この「Lucky」というシングルで、
歌い出しの「あたし」からひと呼吸置いて、
「あなたに会えるのも夢の中だけ」
と続く冒頭から切なさボムが落とされた感じで(笑)、
当時、かなり衝撃を受けましたね。
これって恋愛を巡る男の子と女の子の気持ちが
交互に、問い掛けるように独白するように
歌われるのですが、
感傷に浸りきるでもなく、空元気を表明するでもなく、
「自分らしさが少しでも残ればまだラッキーなのにね。」
という控えめな希望と感傷を含んだ言葉で締められていて、
これが実に新鮮で、しかもこれがいしわたり淳治なる
男子メンバー1人によって書かれてるというのが
また衝撃だったのですが。
(ちなみにこの曲のプロモは4人が
ビートルズのコスプレで歌うというもので秀逸でした。)


彼らの後期の曲に「AOHARU YOUTH」というのがあって、
僕はこの曲が大好きなのですが、
これの所謂サビ部分で「果てには」という
短いフレーズが出て来て繰り返されるのですが、
果てに一体何があるのか、明確な答えは歌われずに
この曲は終わってしまうので、
聴く側は「果て」を想像しなければならないわけですが、
果てに何があるのかは誰にもわからないわけで、
実際答えもないのですが、
スーパーカーはこの「果てには」を高らかに、
敬虔さを持って歌い上げており、
(このサビ直前でドラムのループに
打ち込みのキックとハットが重なって盛り上げてて
かっこいいのです)
それを聴いていると果てには絶望を待たせないというか、
絶望などあり得るものかという強い意志と共に、
でも希望など脆いものであるという諦めに似た
哀しみも含まれているかのようで、
この「果てには」を聴くたびに
つい胸打たれてしまってならない私なのです。
そして「果てには」という4文字に
これだけの光を照らし響かせる
スーパーカーというバンドの才能のでかさに
改めて驚かされるのですが。


ぜひ2月に行われる彼らの夢際のラストライブには
足を運びたいものですが、熾烈なるチケット争奪戦に
勝つ自信が全くない私がいます(笑)。
ふらっと行ってチケットが入手出来るようなら
まだラッキーなのにね(笑)。