言語不在のコミュニケーション

もう8月も終わりですか。
8月31日のさみしさとか日曜の夜のさみしさとか、
そういうのの独特な感じってのはいくつになっても
印象が変わらないもので、
読み終わった本をしまわずにいつまでもぺらぺらめくって、
ずっと手放したくないような気持ちでページを反芻する、
そんな感じです。


今日は夏の終わりを泳ぐように夕方、近所を散歩したのですが、
結構猫が車の下や塀などあちこちにいるもので、
見かける度に「チッチッ!」と舌を鳴らして呼んでみたのですが、
ちゃんと「え?呼んだ?」みたいに振り返るものですね。
というのも先日ゴメスの山田氏が、
「猫には『ch』の発音が一番耳に届くんだ」
というようなことを話していて、
それを思い出したのでチッ、という発音で呼んでみたのですが、
本当に良く反応するものなんだなあとか感心してしまいましたよ。
みな機敏な動きでこっちを見るんですね。
でも呼んでこっちを向いたとしてもその数秒後には
「オレ、あんたに興味ないし!」
といわんばかりに即またそっぽを向いてしまうので
「嗚呼、私はことごとく猫に興味を持たれていない。」
とちょっとしたハートブレイクを味わってしまったのですが、
そういう距離なんでしょうか、見知らぬ猫と人間の間は。


何となく、犬や猫などの動物に初対面なのにすぐなつかれる人とか、
赤ちゃんとか小さい子供に会っていきなり好かれる人とかを見ると
その人は人としてピュア度が高いかのように思えてしまって
ああ、いいなあ好かれて。と羨ましく思ってしまうのですが、
そういうのってないですか、みなさん。
私は初対面の犬に猛烈に吠えられたり、
赤ちゃんを抱いたとたんにわんわん泣き出されたりすると、
嗚呼、私は人としてピュア度が足らないからだ。
修行が足らないのを見抜かれてしまった。
と軽くヘコんでしまうのですが、
(修行でどうとかなるものでもないですが)
そもそも何となく恥ずかしいから素直に
「きゃー可愛い〜」とか言って犬や猫に抱きついたり、
「や〜ん、何ヶ月ー?」とか言って積極的に
赤ちゃんを抱いてあやすことが出来ないこのシャイな男心ってやつを
動物や赤ちゃんはわかってくれないのか、
わかってほしいよボクは!
という気になるのですが、
わかってくれないことが多いようです(笑)。
いないいないばあを人前で素直にプレイ出来る大人でありたいとは
常に思っているのですが。
こっちは好意を持ってますよ〜という笑顔で臨むのに
笑顔度が足らないのか、泣き出されてしまったりすると
人生の悲哀を感じてしまいます。
一緒に酒でも飲んだら意気投合できるかもしれないのになー
とか思っても相手は酒飲めませんし。
難しいものですね。
猫にチッチッ、と呼びかけながら
コミュニケーションの困難さについて考察してしまった私です。
まあそもそも猫と人の子供を一緒にするなって話ですが(笑)。