何言ったって裏返っていく彼や彼女

最近電車の中で本ばかり読んでいて
目が疲れ気味なのですが、
読書の秋してますかみなさん。
そうですか。
私はしていますよ。鈍行ブックモービルを聴きながら。


先日見た番組の影響なのか自分の中で角田光代熱が上がって、
彼女の作品でまだ読んでないやつなんかを
片っ端から読んでいるのですが、
中でも「だれかのいとしいひと」ていう短編集が凄く良くて、
しみじみと泣きそうになりながら読みましたよ。
男の子と女の子の細かな感情の描写とかが
凄く詩的で繊細なので読んでてうっとりするんですよね。
視点も女性ならではというか、こういうふうに
風景や相手を見てるのかと、目線にはっとさせられる感じで。
「海と凧」ていう作品なんかは、もし自分が映画監督志望で
自主映画か何か撮っているような人間だったら
勝手に映画化してしまうのではないかしら。
その映画にもし曲を付けるなら
「汀のリップシング」を付けるのではないかしら。
なんて思いましたよ。
(ちなみに「鈍行ブックモービル」収録曲です。
すいません、何気に宣伝です・笑)
それはさておいてもこれって装画が酒井駒子だし、
本としても何か良い感じで素敵です。
まだ読んでないやつが結構あるのでこれからも読みたいと思います。


あと、「子どもと昔話」25号に掲載されている
小沢健二の「うさぎ!」という童話ですが、
風刺たっぷりの導入というか前置きだけで
第一話は終わった感じですが、
早くも続きが読みたいような引っぱりのある
終わり方で、これからが楽しみです。
彼がこういう、自分の父親が発行している雑誌に
(しかもめちゃマイナーな雑誌に)
童話を書くというのは何か今の彼のスタンスに似合っているような、
これからの彼の音楽作品の方の傾向も伺えるような気がして、
何だか妙に納得したのですが、
もし一般商業誌に彼が何かを書いても浮世離れした感じがして
多分違和感があったんじゃないかと思うのですよね。
彼が沈黙を破って発表した「Eclectic」ていうアルバムの、
妙な浮世離れした、違うサイズの服を着てるような感じというのは
彼が日本にいなかったという浦島感から生じているのではないかと
勝手に思っているのですが、歌詞も曲もオザケンなのに
トラックが時代からずれている感じがそんな感じしたのですよね。
もうこのまま浦島状態で浮世離れした感じで
凄いものを作ってほしいものだとか勝手に思っているのですけど。
この童話も意図せずして凄いものになっていくのではないか、
ていうか希望としてはぜひなってほしいものだ。と思うのですが。
若い子の中にはすでに露出がほとんどないオザケンのことを
知らない子すらいるのではないかとも思うのですが、
ファンとしてはまだこれからに期待してしまうのですよね。


ところでちょっと前に、野沢直子が来日(?)して
鶴瓶師匠と即興漫才をやったのを見たのですが、
浦島状態の彼女のネタが可哀相なくらい滑りまくっていて、
普段日本にいない彼女が普段日本にいる若い子を笑わすのには
もっと違うアプローチが必要ではないか。
と思ったのですが、彼女も今はほとんど露出がなく、
過去の活躍などは若い子は知らないでしょうし、
「浦島状態で右往左往しつつ外部から見た今の日本を
ツッこむ」という芸風になってしまっているのが残念というか、
何か一線から離れたところからの表現ならそれ相応の
アプローチがあるんじゃないかとか思ったんですよね。
小沢健二の表現ももう彼方から降りて来るくらいの
浮世離れっぷりでいいんじゃないかとか思ったりするのですが、
まあこういうことをとやかく言うファンを彼は疎ましく思って
日本を離れたのでしょうきっと(笑)。


しかし、これよくない、よくないこれ。
がもう10年前のフレーズですよ。
口ロロの「朝の光」てシングルを聴いてこの人たちは本当に
オザケンが好きで好きでしょうがないのでは。
とか思ったのですが、かつての「ベイビベイビベイビー」
の連呼をまた聴きたいと思っているのは私だけではないでしょう。
果たして聴けるんでしょうか。