イーノ体感→バター回避

今日も風が強く、肌寒い感じでしたね。
私はコンタクトを着用しているので風には弱いのです。
瞳がすぐに涙で満ちてしまうのです。
んもう風のばかっ、と叱咤を浴びせたくなるのです。
涙で濡らされた瞳で強風に揺れる木々を見つつ、
嗚呼、暖かい春はまだなのかしら、
などと想いを馳せてしまいました。
このナミダ・ナゲキ→未来へのステップという感じで
春を待つしかないですね。


ところで先日、「77 MILLION」とかいう
ブライアン・イーノインスタレーションを見に
原宿のラフォーレミュージアムに行って来たのですが、
イーノのインスタレーションは初めての経験で
なかなか興味深かったです。
今回はイーノの開発したコンピュータ・ソフトを使用した、
ゆっくりと常に変化を遂げる光の抽象絵画
同じく独自のプログラムで変化し続けるアンビエント音楽による
空間表現が成されていて、
座って自由にその空間を楽しめるようベンチとかあったりして、
それっぽいリラックスした雰囲気でした。
「テレビを光のシンセサイザーとして使用する」とかいう、
テレビの光の変化で絵が常に変化するようなシステムで
映像が常にゆっくりと変化しているのですね。
まああまりにゆっくりなのでじっと見ててもわかんないんですが。
気が付くと違う絵に変化しているわけですよ。
それが77000000通りもあるらしいですね。
それと同様に音楽の方も常に変化していて、
「二度と同じ音は鳴らされない」そうなんですが、
彼がずっと提唱している
「音楽の自己生成(ジェネラティブ・ミュージック)」
が体現されているわけですね。
コンピュータの中で音楽があらゆる組み合わせによって
無限に変化していくという、
「作曲が庭としたらこのシステムは苗木を育てるようなもの」
とのことなんですが、
「作曲者の手を離れてユーザーの手元で変化を遂げていく音楽」
というのはなかなか面白いですよね。
レコードは「半永久的に同じ演奏を再現するもの」ですが、
これは「半永久的に違う演奏を再生するもの」なわけで。
そんなイーノさんの概念を改めて理解出来ました。


がしかし実際、この空間を心の底から楽しんだのかと問われれば
微妙な私もいるわけで。
私はこういう美術系の空間に関しては
何かいつも負け組になってしまうのですね(笑)。
何かベンチでも座ろうかと思っても微妙に混んでるし、
じっくり浸ろうかと思っても周りに人が居て気が散るし、
地味に変化する絵は突っ立ってじっと凝視してても面白くないわけで、
何か居場所なく無意味に会場をぐるぐる回ってしまい、
このまま回り続けたらそのうちバターになってしまうのではないかと
本気で危惧されたので、結局ほどなくして外に出ました。
まあ結論として私はイーノの音楽が好きなのであって
グラフィックにはさほど興味ねえ。
ということがわかってしまいました(笑)。
空間全体として表現されているんでしょうが
これならイーノを聴きながら近所の公園に佇む方がよっぽど
リラックスした空間になるし、
イーノのコンセプトに近いような気がしてしまうのですが。
どうでしょう。
え?「いーの。」ですか?それがいーのですか。
そんなわけで会場限定で売られていたCDだけ買って帰ったのですが、
そのCDは非常に素晴らしかったです。
これって1000枚限定でシリアルナンバー入りだったんですが、
買う時にCD裏の番号を必死に選んでる人とかいて、
それってイーノが提唱していた「偶然性を積極的に捉える」
コンセプトに反するのでは?
なんて思ったのですが、私は何も考えずぱっと選びましたよ。
ちなみに820番だったんですけどね。
や、別にだから何だって話ですけどね。
ところでそのCDを買う際、物販の女の子が凄く可愛かったので
あー可愛い子だな。とか見てたらその子がふと私の顔を見て、
「私って可愛いでしょ。」
みたいににこっと微笑んだので
「さすが!」
と思ってしまいましたよ。
まあ何がさすがなんだって話ですけどね。
それでいーの。
というわけですかね。


バターにならずに良かったです。