超長期天気予報によれば我が一億年後の誕生日 曇り

今日も微妙に風が冷たく、朝方は雨も降り、
やはり手紙の返事は来ないなあ。という印象でしたが、
一体いつになったら暖かくなるんでしょうか。
連休中もこんな天気だったら嬉しくないですね。
爽快な五月晴れを待ちたいところです。
サイダー!
みたいな五月晴れを。


ところでその連休ですが、
私は休みナッシングでみっちり働く予定です。
明日からしばらく仕事で伊勢に行くのです。
五月人形の絵付け体験教室みたいな催しに
私が指導役みたいな形で赴くのですね。


よってここの更新もしばらくお休みするのですが、
その間「なかなか暖かくならないなあ。」
という天気についての言及がずっとトップに残るわけで、
その間に暖かい、春らしい気候が訪れたら
何だか間の抜けた感じになってしまって
どうしたものかとも思うのですが、
まあ別にいいか。とも思っています。
その時はそういう天気だったんですからね。


よくテレビ番組を録画していたものを時を経て後で見た時に
番組と一緒に天気予報も録画されてたりすることがあって、
それを見ると見てる今は春なのに予報では「雪」とか言ってて、
「これから厳しい寒さが続くでしょう。」
なんてキャスターが言ってたりすると何だか妙な感じで、
それというのも天気予報番組が非常にライブ感溢れているからで
まさに今聞いてるような錯覚に陥るからなのですが、
実際には過去の天気が述べられているわけで、
それを見ていると時間の感覚が捩じれたような、
奇妙な気分になってしまうものです。
見てる方の認識では過去の天気なのに
キャスターは未来の天気として述べているわけですし。
過去の天気予報を見るというのは不思議な体験だと思います。
ああ、この雪と予報された日に自分は何をしていたんだっけ?
本当にこの日は雪が降ったのだろうか?
なんてついその日のことを回想をしてしまうのですが、
天気で過去の気分を鮮明に思い出したりすることって
よくありますよね。


小学校時代の夏休みの絵日記などには必ず「お天気」欄があって、
さんざ書くのをさぼっていた後でまとめて日記を書いた時に
「あれ、この日の天気ってどうだったっけ?」なんて思い出せず、
それでさぼっていたことがばれてしまうなんて話がありましたが、
日記に天気欄があるのはそれでその日の空気感を
後から鮮明に思い出すためなのかもしれません。
この冬は何度も「寒い寒い」とここに記したので、
後になって「ああ、あの冬は本当に毎日寒かったな。」
なんてその日々のことを思い出したりするような気がします。


果たして明日から暖かくなるのでしょうか。
半袖を着るような気候を見越して半袖を持参しようと思います。
「いま、会いに行きます。」という返事は
向こうで受け取りたいと思います。


それではみなさん良い連休をお過ごし下さい。


「上昇する気温のせいでロードショーは続き
不安と第6感について君もきっと勘づいている/
感情過ぎ去ってった僕の赤いダイアリ
予言を続けてる天気 君はずっと信じないけど」
小沢健二「天気読み」)