表現の側面、NOWの定義

12月リリースのfwjの新譜「林檎にタッチ」に付く
DVDのマスターを一通り見せてもらったのですが、
いやーこれは傑作ですよ。
この映像集だけでも買う価値ありなので
ぜひみなさんにお手に取っていただきたいです。
曲の新たな表情とか見えたりして面白いです。
映像によって新たに喚起される風景や記憶があると思います。
先日思い出深いロケを敢行した「アゲハに映る」も
実に良い出来となっております。
どういう風に良い出来なのかは
実際にご覧いただければと思います(笑)。
ぜひお楽しみにということで。
fwjと映像ですが、来月にはまた別な媒体で
別な作家さんとの共演もお見せ出来るかと思うので
そちらもぜひ楽しみにしていただきたいと思います。


ところで最近某音楽家の方とひょんなことから
度々メールなど交わすようになったのですが、
その音楽家の人からメールが来るとその文章も
その人の音楽の一部というか作品の延長のような気がして、
何だか受け取って得したような感じになるのですが、
これが例えば文筆家からメールを受け取ったとしたら
ああこれはあの小説から続けて出て来た言葉だ、
みたいな印象を受けるのかしらとか思うのですが、
それは人にもよるのかもしれません。
そういうのを感じさせない人はある意味
仕事とプライベートを分けている人なのかもしれませんが、
大抵の人は「この文章の感じはこの人の作品ぽい」
とかメールに現れますよね。
言葉をタイプする時の流れで、
ああ、どうしてここで読点を、打つのかしら、
ここで句点を。打つのかしら。
とか文章の区切れに個性を想うのですが、
そういう言葉の呼吸みたいなものが
その人の作品に通じるのかもしれないです。


話は変わって、この間の80年代のコピーバンドを見てて、
ヒカシューとかP-MODELとかプラスチックスとかの
80年代初頭のテクノポップバンドとかを完全コピーとか
そういうの見てみたいなとかふと思ったのですが、
P-MODEL「美術館で会った人だろ」とか
今聞いても相当ポップでかっこいいと思うのですけど、
そういうのやる人がいたら良いですね。もう完全コピーで。
これの後継者ってポリシックスとかになると思うんですけど
当時は「ナウ」だったものがポリシックスとかでは
「レトロ」というニュアンスが混じっていて、
そこがまた新しかったと思うんですが
あれからさらに何年か経るとこういうのって普遍的になるというか
ジャンルとして定着する感じなんでしょうね。
このポリシックスって短命に終わると思ってたんですけど
これだけ持続してるというのはそれだけで尊敬に値すると思います。
もしくはこういう手法が普遍的に機能する要素を
たくさん内包していたということかもしれません。
彼らの「美術館で会った人だろ」を見てると
当時P-MODELがやってたことのアップデート版みたいな印象ですが、
それだけP-MODELが先鋭的だったともいえるわけで
こういう驚きに満ちた音楽がこれから誕生するのか果たして、
と思ってしまったりしますよ。
これって90年代のあれのアップデート版でしょ、とか
そういうナウじゃないナウな音楽という意味で。


それにしてもヒカシューの映像はさすがに探してもなかったですね。