アイドルせよ、乙女

スーパーなどの駐車場によく掲げられている
「アイドリング禁止」なる貼り紙を目撃する度に、
私はこれが「アイドル禁止」だったらどうなることかと
つい想いを馳せてしまうのですが、
私にとってアイドルとは80年代の聖子ちゃんみたいな、
フリフリのドレスとぶりっ子した表情のナウい感じの
「渚に白いパラソル、心は砂時計よ」みたいな
「心の岸辺に咲いた赤いスイートピー
とかそういうようなイメージなのですが、
そういう人がスーパーの駐車場などでアイドルしていたら
確かに警備員でなくとも「ストップ!アイドル禁止よ!」と
必死に止めるであろうと想像に難くなく、
そういうこともあるのかもしれないなアイドリング禁止とは。
とちょっと思ったりもするのですが、
アイドルといっても様々なタイプのアイドルがいるわけで、
バラドルとかの感じで「ちょ、ちょっと待って下さいよ〜!」
とか若手芸人ばりに司会者に食いつくアイドルもいるだろうし、
水着で健康的なお色気を魅せるグラビアアイドルもいるだろうし、
メガネとメイド服などで萌え〜なアイドルグループもいるだろうし、
多様化されたアイドル行為に対し、スーパーの駐車場如きが
その存在を否定出来るものか、果たして。
などとアイドル禁止令の重さについて、
その存在の耐えられない軽さについてさらなる想いを巡らせるのですが
まあそんな禁止令は実際には発令されていないわけなので、
アイドルには伸び伸びとアイドル行為を行ってもらいたいものだ。
などと思うに至る私なわけです。
まあスーパーの駐車場などで実際にアイドル行為をしている人って
地方とかに意外にいますからね。
それを禁止するとは可哀相だというものです。
まあエネルギーの無駄だしアイドリングの方はやめたほうが良いですね。


ところで細田守監督の「時をかける少女」というアニメを見たく思い
近所のツタヤに日参しているのですが、常に貸し出し中という状態で、
時かけ」争奪戦を見えない相手どもと展開中の私なのですが、
「全日本五十嵐に『時かけ』を見せない同盟」による仕業であろうかと
謎の団体の存在に怯えてみたりするのですが
そんな同盟は勿論存在しないわけで、
私はツタヤの棚の前で落胆をするという行為に及んでいます。


いとうせいこうヤン富田両氏によるヒップホップの名盤
「MESS/AGE」を改めて聴き返したりしているのですが、
彼の「福韻書」という歌詞中で意図的に韻の踏まれた言語を
母音毎に羅列してあるものを見つつ、
今のラップの韻の踏み方の優れたものもそうでないものも
だいたいこれらの言葉が基本にされているというか、
普遍として機能しているのだなと改めて思うわけですが、
不思議とこのアルバムみたいなヒップホップアルバムが
現代に存在しないような気もして、
独特な存在感だなと感心したりしています。