疾走せよ、乙女

時をかける少女 通常版 [DVD]

時をかける少女 通常版 [DVD]

ツタヤじゃないレンタル屋に赴いたらあったので、
借りて鑑賞したんですが、結論から言うと大変面白かったです。


まず主人公の声を演じている仲里依紗さんが非常に素晴らしく、
この声がなければ魅力が半減していたんじゃないかと思いました。
タイトルに掲げられてる通り、とにかく主人公の女の子が
時空や空を飛んだり道を走ったり転げたりなど「かける」話で、
その疾走感が左右、上下への体の移動や表情、声、サウンド
場面の流れなどの演出によって非常に綿密に描かれていて、
「17歳の女子の疾走する時間」=「青春」として、
私のような大人は失われたものへの憧憬という目線を含みつつ
その走りに眩しささえ感じながら見たわけですが、
「待ち合わせに遅れてる人がいたら走って迎えに行く人でしょ」
という台詞を受けて疾走するラストにおいては
どこまでこのカット続くんですかというくらい
延々走る横顔を追うという演出が成されていて、
その過剰な息遣い(変な話、喘ぎ声にも聞こえなくもない)のあとの
ラストのあの静かな夕焼けシーンが活きるわけですが、
とにかく「かける」映画になってるなという印象を受けました。
またタイムリープ時に必ず転げて物にぶつかったり、坂を転げ落ちたり、
スマートに疾走する以外に体のあちこちを痛めるというのも
若さゆえの不器用さみたいなのを現していて良かったような印象です。
(主人公と対比する形で登場するかつての時かけ少女だった
魔女おばさんが大人の女性として落ち着いた佇まいなのが印象的です。
彼女にはいっそ原田知世氏を起用すれば良かったような気もしますが。)


また女子と男子の恋人未満な微妙な三角関係という設定は
あだち充を筆頭として古今東西扱われているテーマで
見ているものが何となくやきもきする展開なわけですが、
そこにそれぞれ2人の男子に想いを寄せる女子や取り巻きを盛り込んで
タイムリープを使っての面白い展開が成されていて、
そこら辺の回し方も巧かったように思いました。
こういう三角関係の終焉のさせ方にはどっちかひとりを消すという
鉄則があるわけですが、「キャンディ・キャンディ」「生徒諸君」
「タッチ」とか過去の名作ではひとりが死んじゃうという、
究極の解決の仕方が取られているわけですが
ここでは主人公が自分の想いに気付いたあとで
相手が「帰る」ことで消えるという、
切ないといえば切ないですが未来につながるようなラストで、
主人公が号泣するところで私も見ながらつい泣いてしまったのですが、
3人での日々が楽し過ぎて夏になってしまったという告白が
また青春という感じで泣けて、永遠に続くはずもないけど
永遠に続きそうな気がする関係性の美しさと危うさが
この作品をさらに魅力的にしているような印象を受けました。


この作品でキーワード的に扱われている「Time waits for no one」は
R・ストーンズの74年の名曲のタイトルなんですが、
(このタイトルの歌をカラオケで歌うシーンもありますが別な曲です)
監督がストーンズ好きだったのか偶然かわかりませんが、
ミック・テイラーのギターが非常に切なく泣ける曲で、
この映画の切なさと意外に合ってるんじゃないかと思ったりしました。
時間は誰も待ってくれないですよね、ホントに。


この映画、ぜひ興味持たれた方は見ると良いんじゃないかと思います。
大林宣彦版もまた見直してみようと思っています。