絶望のコーラ、希望のビスケット

日暮れから夜にかけての時間帯の公園のベンチに
止まり木で羽を休める鳥のようなロウテンションで
私はぼんやりと座っていて、
先ほど買ったコーラの500ミリリットルの缶を出し、
何か夏の勢いで500買っちゃったけど明らかに多いな、
とか思いながら蓋を開けるとお約束のように炭酸が溢れ、
私の指先をべとべとに濡らしたので
私はすかさずハンカチで拭こうかと思い立ったのですが
残念ながら私はハンカチ王子ではなかったので
コーラを拭き取るナイスなハンカチを所有しておらず、
仕方なくそのままの指先でコーラを飲むに至ったのですが
そのコーラはもうすでにぬるい状態に変動しており、
生ぬるいコーラと奇跡的にしけってないビスケットが
世界の絶望と希望そのものだとかいう一編の詩歌を思い出し、
あああれ、コーラじゃなくてビールだったかも、
ビスケットじゃなくて煎餅だったかななどと
折角思い出した詩歌がうろ覚えである事も認識したのですが、
コーラはぬるいと魅力が半減すると言うか、
コーラとしてのアイデンティティが半崩壊する感じでもあり、
「腐っても鯛」みたいな絶対的な魅力を持ち得ないのは
飲み物としてかなり弱点じゃないかと思いつつも
人間もまあ突き詰めればそういう似たようなものであり、
「あの子はいつも笑顔で元気だからこそ魅力的」
みたいな捉えられ方だと
「ぬるくて炭酸の抜けたような暗い表情だと可愛くないぞ」
とか言われちゃうそんな構図みたいなもんだなとか
思ったりもするのですが、
コーラと人とを一緒にするなという
真っ当な意見も頂戴しそうな雰囲気でもあるので
私はただ黙してぬるいコーラを胃に注ぎ込んだのでした。
でも「元気のない時のきみだって同じように好きだぜ」とか、
そのくらいの愛情でぬるいコーラをも許容する
器の大きさくらいは所有してるような気がする
私だったりします。
ハンカチすら所有していないのに。


小さい公園のささやかなるベンチは
約束をしていない待ち合わせ場所のようであり、
座りながら私は誰かを待っているかのようでもあり、
そのうち誰かが「いやーお待たせー」と現れるのではないか、
なんて想像もするのですがいかんせん約束をしていないので
待ち合わせ場所には誰も来ず、
そのうち虫の鳴き声も聞こえて来て夜へとシーンは移行し、
もうすでに秋の兆しも見え始めた公園のベンチで
私はシャナナナナナーとかいう
この夏のヒットチューンを口ずさんだりして
漠と佇んだのでした。
ナイスな。
ハンカチも持たずに。


それにしてもMINMIのこの曲、
名曲としか言いようないですね。