トンボ the electric blood red

もうすでに秋へとページが捲られたかのような涼しさですが
まだ8月はあと1日あるんですよね。
急に涼しくなると寂しいような感じになりますね。
ふと見るとトンボが目の前を軽やかに飛んでいたりして
季節の変わり目であることを実感するわけですが、
トンボを見かけると「秋であるな」と思いつつ
ある種の郷愁のような感情を抱くというのは
日本人の血のようなものの成せる事象であろうかと
そんな事を思うわけですが、
良いですよね、この季節のトンボは。


トンボを見かけるとつい己の人差し指を
彼(もしくは彼女)の目の前に差し出し、
くるくると目を回すような仕草をしてしまい、
別に獲る気もないのに彼(もしくは彼女)を翻弄させ、
トンボとの甘いひと時を楽しんでしまう自分がいるのですが、
思うにあの目を回すといういたずら的な行為でしか
人とトンボとがコミュニケーションを図れる術がないのではないか、
あんな幼稚な指の動きだけで簡単に目を回してくれるのは
実はある種のトンボ側の優しさであって、
「はいはい、しょうがないなあ人間さまは」という感じで
わざと目を回してくれて我々と交流してくれているのではないか、
なんてことを思ったりもするのですが、
男子が好きな女子の気を惹くのにわざといじめるようなことをして
女子に「男子ってホント馬鹿みたい、子供なんだから!」
とか大人目線で言われちゃうような、
そんなトンボ上位のコミュニケーションを思うのですが
もしそうならトンボはなんて大人なんでしょうか。
トンボはトンボ返りなんていうくらいで
素晴らしい飛行をこの季節の空で展開しているわけですが、
実際目を回すくらいでは簡単に捕まらないわけで、
子供が捕まえようと必死になってる様を見ると
子供が逆にトンボに遊ばれてる感じがしますよね。


オニヤンマとかギンヤンマとか幼少の頃に
よく網で捕まえたような覚えがありますが、
今となっては恐くて羽根に触れないという情けなさで、
(蝉や鈴虫も同様です)
大人になるというのは昆虫が恐くなるということじゃないかと
後ろ向きなことを思ったりもするのですが、
あの羽根の細かい網目のデザインはでも実に美しいですよね。
誰がデザインしたかは知りませんが。
オニヤンマの「オニ」って「西船のららぽーと、鬼熱いし!」的な、
柳原可奈子総武線の女子高生ネタで使っているような
物の規模の大きさを現す意味じゃないかと思うんですが、
(オニヤンマは体の色味も実際鬼っぽいですけどね)
しょこたん風に言うと「ギザヤンマ」って感じなんでしょうかね。
ギザヤンマカワユス!って感じで。
ギザヤンマって本当にいそうな感じがするからまた恐いですね。
関係ないですがキセルの「ギンヤンマ」って曲が私は好きです。