電車歌唱男に想う

先日、帰宅せんと夜遅くの電車に乗っていた時の話ですが、
ある駅でひとりの青年が乗り込んで来たのですね。
年の頃36、7くらいの。
私はドア横に立ってたんですが、青年はその向かい側に立って。
私は青年が乗って来たなと思いつつ、静かに本を読んでおったのですが、
しばらくしてその青年、おもむろに歌を口ずさみ出したのですよ。
私は本から顔を上げて「え、歌?」と青年の様子を伺ったのですが、
どうやら少々酔っておられるようなのですね。
耳にイヤホンあてているのでiPodか何かで曲を聞きながら
一緒に歌詞を口ずさんでいると思われたんですが。
まあそんなでかい声じゃないし別に良いか、と私は再び本に顔を戻したのですが、
ふとその青年の歌ってる歌が何なのか気になり出したのですね。
電車内にも関わらずつい歌いたくなってしまう歌とは何ぞやということで。
本に目を向けつつも私はしっかり青年の歌声に集中し、
何の歌なのかその特定に全力を注ぐに至ったのですが、
途中で聞き覚えのある歌詞が登場したのです。
「あれ、この歌知ってるな、何だっけ?」と集中していると
「あれから〜ぼくたちは〜なにかをしんじてこれたかな〜」
という耳馴染みのある言葉が登場したのですね。
そこで私は「夜空ノムコウ」じゃんスマップの!と気が付くに至ったのですが、
同時にその青年の歌唱力が危ういことにも気が付いてしまったのですね。
メロディは普通ドレミファソラシドから成っているものですが、
彼の場合「ドレレレレレレレ」みたいな非常に一本調子なメロ構成で、
モールス信号に限りなく透明に近いブルーなのですね。
ちゃんと歌えてないしそれ、って感じで。
ひょっとして中居くんの歌唱を完コピしているのか?
と推測してみたのですが、そうでもなさそうなんですね。
実際キムタクのソロパートではキムタク風に歌ってるし。
キムタクのソロのくだりではいつもキムタクは
「俺って歌うまいっしょ!」みたいな表情と発声をするのですが、
そのニュアンスが鼻歌でも伝わるとは凄いよなと感心してしまいましたけどね。
で、その青年、「夜空の向こうにはもう明日が待っているぅ〜」と、
語尾を上げ(ている風に)、結局最後までフルコーラス歌いきったのですが、
それを私も結局最後まで聞いてあげてしまったのですね。
見知らぬ人のミニコンサート@電車。という感じで。
堂々と電車内でフルコーラス歌っちゃうって勇気あるなあと感服したものですが、
まあ別に見習いたくはない種類の勇気だなとも同時に思いましたけどね。


で、その青年、次の曲も引き続き歌うのかなと思ったら
突然鼻をぐずぐずとし始めまして。
何なのかと様子を伺っているとその青年、泣いているようなのですね。
ハンカチを取り出して鼻水と涙を拭き出したのですが、
明らかに泣いているのです。
自分の歌唱に感極まったのか、曲そのものに感動したのかはわかりませんが
彼の中で「あれから僕たちは何かを信じて来れたかなあ」と思わせる
出来事があったのかもしれません。
私は思わず彼の肩を抱き、「まあ元気出せよ。飲みにいこうぜ!」と
飲みに誘いたくなる衝動にも駆られたのですが、
「人には歌を歌いたくなる瞬間がある」という
カラオケ屋のコピーみたいな事実を目撃し、それを実感するに至ったのです。
彼の人生に何があったのかわかりませんが
夜空ノムコウ」は彼の心を少しだけ慰め、力を与えたのかもしれません。
「こういう歌を本当の名曲と呼ぶべきなんだろうな」と
静かに泣いている彼の姿を見ながら私はしみじみ思ったのです。


その後電車を降りてホームをとぼとぼと歩いていく青年の背中を見ながら私は
「あれから僕たちは何かを信じて来れたのかなあ」と思い、
夜空の向こうを遠くに眺めたのです。
もう明日が待っているはずの。
夜空の向こうを。


「あの頃の未来に 僕らは立っているのかなぁ
すべてが思うほど うまくはいかないみたいだ
このまま どこまでも 日々は続いていくのかなぁ
雲のない星空が マドの向こうに続いている
あれから僕たちは 何かを信じて来れたかな
夜空の向こうには もう明日が待っている」
(「夜空ノムコウ」)