流血の三月革命

先日、夜に浅草寺周辺の細道を歩いていたらパトカーが止まっており、
その横に警察官数名が立ち、おばあさん2名が道に座り込んでおるのですね。
何事かと見やるとおばあさんのうちの1名がどうかと思うほど血塗れで、
しきりに「友達なの!でもこの人は友達なの!」と言っておるのです。
どうも様子を伺うに2名のおばあさん同士が言い争うか何かして、
一方のおばあさんが掴み掛かるかした時に突発的な事故があり、
もう一方のおばあさんが流血してしまったみたいな、
おばあさん同士の喧嘩による流血、みたいな事件のようなんですが、
流血してるほうのおばあさんがどっちかと言うと被害者的立場なのに
「でもこの人、友達なの!」と相手を庇う姿勢なのが妙に哀し気で、
それほど相手に愛情を抱いてるのに何で喧嘩したのかそもそもわかりませんが、
私は人間臭い情の深さに見え隠れする、
哀しみと暖かさみたいなものを同時に感じてしまったのです。
警察官が怪我させた方のおばあさんを責めるような雰囲気だったので
思わず庇ったという感じなんでしょうけどね。
その怪我させてしまった方のおばあさんは項垂れて座り込んでいて
そのか細い背中しか見えなかったんですが、
友達を流血させてしまって、その友達から非難されて然るべきものを
逆に「友達である」という嬉しい再認識を得てしまうというのは
何とも複雑な心境であったことでしょう。
よく小学生とかが喧嘩してどっちかが鼻血か何か出してびーびー泣いて
何となくごめんねみたいになって何事もなかったように仲直りみたいな、
そんな些細な喧嘩を展開していたものですが、
それのおばあさん版みたいな感じなのでしょうか。
しかしいかにして流血に至ったのか知りませんが、
血に塗れたおばあさんは見ていて非常に痛々しいのであり、
小学生の喧嘩とはやはり質的に違うものですが、
「友達」というワードが何の違和感もなくふわりと出て来る辺り、
何だか子供同士の、少女同士の喧嘩のような様相も伺えるのであり、
私は早くあのふたりが元のように、
もしかしたら元以上に仲良くなれれば良いのにと思ったりしたのです。
騒動の後、まだ血痕の残る服を着たままベッドに横たわるおばあさんを前に
怪我させてしまった方のおばあさんがそっと近付き、
「今日はごめんね、傷付けちゃったね。本当に・・ごめんね!」
と言いながら涙をぽろぽろと落としぎゅっと手を握ると
相手のおばあさんが優しく握り返してくれて、
「いや、私こそつまんないことで突っかかっちゃってごめんね。
あなたは私の友達だからね。これからもずっと!」
とにっこりと笑うのです。
その笑顔を見て相手のおばあさんはわっと子供のように泣き崩れ、
「ごめんね、ごめんね」と繰り返しおばあさんの胸に顔を埋め、
相手のおばあさんはそれをぎゅっと優しく撫でながら抱きしめるのです。
そして繰り返すのです。
あなたは私の。
友達だからね、と。


というような仲直りシーンを思い描いたんですが
そういうシーンはあったのでしょうか、その後。
果たして。
「血を流さない青春なんてあるんでしょうか。」
「きみ、馬鹿言っちゃいかんよ。
青春とは美しく。そして尊いものなのだ」
というような永島慎二先生の漫画の台詞を思い出したりしました。