桜前線えびせん戦線

先日、駅のホームでぼんやりと電車を待っていると
私の前に並んでいたおばあさんが徐に鞄からお菓子の袋を取り出し、
むしゃむしゃとそのお菓子を一心不乱に食べ出したのですね。
この桜舞い散る春の良き日に突然何を喰らっているのだろうと
そっと後ろから見やるとかっぱえびせんなのですよ。
カルビーの。えびの絵柄でお馴染みの。
へえ、かっぱえびせんか、などと思いつつ様子を伺っていたのですが
それがまた尋常じゃないレベルの食べ方なのですね。
左手に袋を持ち右手で袋からブツを取り出し口に持って行くスタイルで、
次から次へと勢い付けてえびせんが彼女の口に運ばれて行くのです。
そのえびせんへの集中力の高さとスピード、
えびせんを的確に運ぶ手首のしなやかなスナップ、
ぽりぽりと心地良いビートを刻むその咀嚼などまさにプロのレベルで、
えびせんを喰らうことによって給料が発生するのではと思うほどの
えびせん上級者的な食いっぷりなのです。
それはまさにコピー通り「やめられないとまらない」状態だったのですが、
しかしいくら彼女がえびせんの達人であったとして
その高齢でえびせんをドカ食いしては体に悪いのではないか、
塩分と油分とを過剰に摂取する結果になるのではないか、
「もしもし、おばあちゃん、えびせんはほどほどにしなさいね」
と後ろから優しく注意をしてあげるべきではないのかと
私の親心が冬眠から覚めた熊の如くむくむくと起き上がったのですが、
しかしいきなり赤の他人が注意しても失礼というものです。
ここはひとつ限りなく身内っぽいノリで
「集中して投げ過ぎると肩壊すぞ」と、
投手の肩に毛布を掛けるようなニュアンスで注意するべきではないか、
「ケーキとお紅茶入ったわよ、受験勉強も根詰めると良くないわ」と、
お母さんが部屋にインみたいなニュアンスで注意するべきではないか、
「同じ年頃の若者が海に山に青春を謳歌してるのに
矢吹くんはジムに閉じこもってえびせんを食べてばかり。寂しくないの?」
あしたのジョーの紀ちゃんのニュアンスで注意するべきではないか、
などと様々な注意方法を思案していたところやがて電車がやって来て。
彼女は突然ピタッとえびせんを運ぶ手をストップしたのです。
まるでスイッチが切れたかのように。
あれほど熱心に食べていたえびせんを急にストップしてどうしたのだ、
えびせん戦線異常有りかなどと訝し気に様子を伺っていると彼女は一言、
「はい、続きは夜!」
と力強く言い放ってえびせんの袋を鞄にしまい電車に乗り込んだのです。
そこで私はなるほど、彼女なりのペース配分があったのか、
朝、昼、夜に分けてのえびせんタイムが設けられていたのかと
彼女の一日に於けるえびせんタイムテーブルを知るに至ったのですが、
やはりプロフェッショナルは違うなと改めて感心したわけです。
「やめられないとまらない」けど、あえて「やめてとめる」という。
それが大事なのですね。
電車の中では彼女は勿論、えびせんを取り出すこともなく
夜のえびせんタイムに向けてなのか休養に努めておりました。
おばあさんはその夜、至福のえびせんタイムを再び味わったのでしょうか。
そしてやめられてとめられたのでしょうか。
「続きは明日!」
という感じになったんでしょうか。
桜舞い散る春の良き日に。
私は思ったのです。