ブックオフへの道

例えば登山家が山を登る理由に「そこに山があるから」と語るように、
北の湖元理事長がサウナに行く理由に「そこにサウナがあるから」と語るように、
私がブックオフに行く理由は「そこにブックオフがあるから」なのであり、
今日もブックオフのバイト諸君はいらっしゃいませの連呼で私を迎え、
私は徳川埋蔵金発掘に当る糸井重里氏のようなテンションで棚を物色するわけですが、
私は事ある毎に思うのです。
「世の中には2種類のブックオフがある。使えるブックオフと使えないブックオフだ」と。
豊かなオアシスを隠した砂漠を旅するが如き様相で
己の勘を働かせ風を読み空を仰ぎ喉の渇きを潤すべく歩き、
やがて輝ける水の匂いと音を耳にし「オアシスだ!」と、
駆け寄る時の気分を擬似的に味わさせてくれるのが所謂使えるブックオフであり、
使えないブックオフはその逆で、潤いの無い砂漠がただ広がるばかりで、
私はその広大なる砂の集合にただただ「何かたるいしー」と思うのであり、
戯れに砂の粒をさらさらと手に取り落下させてみるもただただ虚無であり、
清水國明ブックオフで見かけた者はいるのだろうかと永遠の謎を問うてみるなど、
人生に無駄なる時間を与えてしまうのです。
私ほどの達人になると店内に入るだけで「む、使えないな」と瞬時に察することが出来、
その際は棚を斜め読みし、時間がなければそのまま背を向け立ち去るわけですが、
いざ店内に入り「む、使える!」と判断を下した場合には
即座に独りフォーメーションを組み立て確実に攻める体勢に入るのですが、
その際には深呼吸やラジオ体操第2、軽いジョギングなどで体をほぐす必要があり、
「ドラゴンへの道」のコロシアムでの決闘前の
ブルース・リーチャック・ノリスのそれを思い出して欲しいのですが、
そういう準備を経てブックオフとの闘いに臨むというわけなのです。
私の研究に拠れば使える店はずっと使え、使えない店はずっと使えないですね。
売りに来る客層とか土地柄とか店の方針とか色々あるのでしょうが。


たまにブックオフのバイトの先輩筋に当たる人が
「この伊坂幸太郎って人は人気作家でね」とか、
棚の商品の動向を後輩に説明している場面を見かけるのですが、
以前、明らかに教えてる後輩女子のことが気になってる風の先輩男子がいて、
「小倉さんは小説とかよく読むの?ああ、じゃあここら辺はまかせられそうだね」とか
「わかんないことあったら気軽に僕に聞いていいからね」とか
「そうそう!小倉さんは飲み込み早いなー」などと
すげー好意持ってます的な話し振りで指導していて、
その小倉さんを見ると行く先々でモテてそうな可愛い子であり、
片や先輩男子は行く先々でモテてなさそうな空気を醸し出しており、
この恋は難しかろうなあと先輩男子と小倉さんとの恋路に想いを馳せたのですが、
そんな人間模様を見るのもブックオフの楽しみのひとつなのですね。
まあそんなもの観察してないで本を見ろって話ですけどね。


そんなわけでレコーディング、続いています。
何で唐突にブックオフのこと書いたのかといえば現実逃避です(笑)。
高田馬場ブックオフは品揃えが良かったです、そういえば。
学生街のブックオフはたまに良いのが出ますね。
アメトーーク」での「ブックオフ芸人」を待望している日々です。
やれば絶対見るのに。