ハートの地雷探知機

今日はジョン・レノンの命日なのですよね。
去年の同じ日にもジョンの話題書いてました、自分。
ビートルズを聞くと未だに胸がときめくというか、
自分が音楽の魅力に取り憑かれたのってここが原点だなあと思うのですが、
この感動を分け与えたいとカセットに自分セレクトのビートルズナンバーをダビングし、
五十嵐ベスト版を友人などにあげてたりしたものですが、
そういうのって人によってはある種はた迷惑というか煙たがられる行為にもなるわけですが、
自分では全然気が付かないのですよね。
ビートルズに夢中にならない人なんているものかと思い込んでいますからね。
ところがいるのですよね。
そういう人にとっては別にそれほどの熱量を期待されたところでという感じなんでしょうが。
こっちは共感というか共有出来るものと期待しているので肩すかしという感じなのです。

何かそういうすれ違いってありがちというか
こっちが当たり前だと思っているものが向こうからすればNGなことって多々あるものです。
気が付かないで地雷踏んでるってやつです。
事前に地雷の場所くらい教えておいて下さいよという感じもしますが、
地雷の場所くらい察知出来ないの?みたいな厳しい敵地もあるわけで。
戦地で右往左往することほど不甲斐ないものはないですね。
え?それ地雷だったの?と気が付いた時には怪我負ってるわけです。
逆にこの人にはよく地雷踏まれるなーという場合もありますが
まあいっか踏まれてもという余裕というか鈍感な感じも増えて来るもので、
地雷の数と位置って更新されていくものなのかもしれません。


中学時代に女の子にあげたビートルズのテープを
「ごめん、いらない」と返された時は
「なんてセンスのないやつ!」とある種の逆ギレをしたものですが
自分もそこで踏まれてしまったわけですね。
別に踏んだ方は悪くないのにと後で思うわけですが。
ちなみにそのテープの1曲目「HELP!」でしたけどね。
私の心の叫びがそのまま現れているかのようで。
まあその子も同様に思ったでしょうけどね。


ジョンみたいに世界の愛だの平和だの大きいことは言えませんが
小さな戦争には愛をもって臨むような人になりたいものです。
臨んだ途端に地雷踏んじゃったりすると目も当てられませんけどね。