ウイスキー、冬割り

寒いです。
寒いけど匂いは確実に春めいているような気がします。
このまま雪も降らずに終わるのでしょうか、冬。
暖かくなるのは嬉しいのですが雪がないというのもそれはそれで寂しいものであり。
綺麗な雪化粧の朝などは冬を共有する連帯感が街や人々を包み込むかのようで、
炬燵で丸くなる猫以外は世界が2、3ミリ浮遊するような感覚にも見舞われるのですが、
あれってただ寒いだけじゃ何だもんねえという冬のお詫びの品のようにも思え、
冬は基本的には認めないけどまあ雪だったら許可してやってもよくってよと
書類に雪受け取り了承の印鑑を捺印する心積もりはエニータイムあるのですが、
今シーズンは押さずに済んでしまいそうな感じです。


幼少の頃は雪がやたら美味しそうに見え、よくひと掴みして食べていたものですが、
食べたところであれって無味無臭なのですよね。
オリジナルの雪の味がするわけでもなく。
ポテトチップスや煎餅に雪を乗せて食べたり工夫を見せたりもしてましたが、
しなしなになるだけで美味しくもないのです。
イチゴの雪乗せとかデザート系は見た目にも結構いける感じですけどね。
今となっては環境的に質が問われる感じで雪を口にする気がなかなか起きませんけどね。
酸性雨だから毒だろうこれ、って感じで。
そこらに積もった白い雪を無造作にざっと掬ってウイスキーの雪割りなど作って、
毒と共に豪快に冬に酔ってしまいたい自分がいたりしますけどね。


都市の雪景色は交通を麻痺させたり凍ってひとの足を滑らせたり、
翌日には泥濘となり醜い素顔を晒し厄介な存在と化すもので、
処女雪の儚く切ないくらいの美しさはこれの上に見えた幻だったのかと思ったりしますが、
どっちも雪でありどっちも冬の顔なのですよね。
季節は時に憎たらしいほど残酷なものであって時に泣きたいほど優しく美しいものであって、
我々はそこの中で夢中になって暮らしているというわけです。


我々に春が訪れる日はいつなのでしょうか。
ウイスキー飲みながら想いを馳せたりします。