桜のデータ、池田亮司

暖かい。
もう春と呼んでいいのかい?
脱いじゃうぜ上着、この際!
と冒頭の3行、思わず韻を踏んでしまいたくなるほどの良い気候です。
大分春めいてきて助かりますね。
なのになぜか若干喉が痛いこの頃の私です。
風邪なのでしょうか。
季節の変わり目は気を付けたいものです。
「のど飴を溶かす時間を治療と呼ぶ我の靴もと桜舞う昼」
という短歌を今即興で作りました。
このまま暖かくなればこっちのものです。
桜味ののど飴とか出ないかしら。


そんな私は先日、東京都現代美術館池田亮司展を見に行って来たのですが、
0と1の組み合わせによるデジタルのデータを視覚と聴覚で体感するという
その手法が大変興味深かったですね。
視覚の方は数字の羅列のデータが黒に白い光の線となって現れるという内容で、
大画面でその無機質なデジタルの世界を体感出来て面白かったです。
気の遠くなるほどの数字の羅列に美しさというより恐怖を感じてしまいましたが。
私は文系なので数字が恐いのです。
文系というのは単なる言い訳ですが。
聴覚の方は超指向性のパラボラ型スピーカー5台から正弦波が放たれるという内容で、
2台のスピーカーの真ん中に立って耳の位置を動かしたり片方に近寄ってみたり、
頭突っ込んでみたり(笑)、あえて離れてみたりぐるっと回ってみたり、
様々なリスニング方法でサウンドを体感出来て楽しかったですね。
2曲目と3曲目の0と1がひとつずれてる違いはどこにあんねんと聞き直したり、
最小の音量や最大限の音量で聞き比べたり、
それなりに池田亮司氏のCDを家で楽しんでみた経験のある私ですが、
正直「良いね〜」としみじみ情緒を見出す種類の音楽ではないわけで、
「これって何?」というわからなさがまず先行すると思うのですよね。
「わからない」からさらに先に進むと面白いわけですが
CD聞いてるだけだと自分から理解しようと能動的になるところまでいかない場合もあるわけで、
まずはこういう場所へ出かけて実際に目と耳で感じてみることが最良のように思います。
興味ある方は足を運んで体感してみては如何でしょう。
実際家でCDで聞くよりも体感する方が数倍面白く感じました。
最初に彼のCD聞いたときは「故障?」と思ったくらいですからね。
エラー信号みたいなのがずっと鳴ってるという。
CD終わってるのにまだ鳴り続けてるような気もしたりして。
揺れやずれのないデジタルの信号に情緒を見出す日がやがて来るのでしょうか。
mp3の圧縮に情緒を見出す日が来るのと同じように。


しかし館内に職員が必要以上にたくさん突っ立って監視していて、
彼らの人件費だけでも相当かかってるだろうにこのご時世に贅沢な話だよなあと
アートから100万光年かけ離れた現実的な感想を抱きました。
こういう施設に於ける無駄な金のかかり方を目の当たりにすると妙に胸が痛むのです。
私が胸を痛ませる理由はひとつもありませんが。
経費節減とアートは両立しますからね、言っておくけど。
大事なのは智恵と気の持ちようなのです。