非エレガンスの優雅なドミノ倒し

文藝 2009年 05月号 [雑誌]

文藝 2009年 05月号 [雑誌]

「文藝」の穂村弘特集号を熟読したのですが、
穂村氏と谷川俊太郎氏との言葉についての対談が特に面白かったですね。
個人的には穂村氏は今日本で最もヴィヴィッドな言葉の使い手じゃないかと思うんですが。
その彼と日本に於ける詩人の代名詞的存在の谷川氏との言葉を巡る見解が興味深かったです。
谷川氏の現役感溢れる(教科書に載ってるレベルの人とは思えない若々しさですよね)
飄々とした佇まいの秘密を穂村氏が解き明かそうとする言葉の応酬が良かったですね。
穂村氏の「詩には共感(シンパシー)と驚異(ワンダー)という二つの要素がある」
という意見になるほどと膝を打ちました。
世間の人は圧倒的にシンパシー重視なので相田みつを的な言語に安心しがちなんですが、
それってある種の自己愛とも言えるわけで、
その手の言葉だけでは自分も世界も更新されることはないのですよね。
自分が薄々勘付いていることの確認のようなものですし。
本当に知らない世界、ワンダーを求めて本を読むという行為にこそ意義があるというもので、
自己愛というのなら寧ろその手の言葉に触れて自分と世界を更新していくべきだという
彼の発言に彼の言葉のファンタジスタとしての意志を垣間見たような気がします。
これって音楽というか所謂Jポップ界に於いても言えることですけどね。
「親や友達大事にしよう」みたいなわかりきったことを朗々とラップする輩とか
豆腐にぶつかって今すぐ死ねばいいんじゃないのと思うんですが、
あれを詩だというのなら献立表も詩なんじゃないですかね。
「世界を凍りつかせる究極の一行」を求めて彼の実験と冒険はこれからも続くのでしょう。
私は彼の言語表現を支持したいです。
整形前夜

整形前夜

そんな穂村氏の新しいエッセイ集ですが。
自意識をこじらせて現実世界との接点を見出せなかった著者が
その違和感を言語化することで着地点を見出した経緯が「文藝」でも語られましたが、
自意識こじらせ過ぎじゃないっすかというおかしさが彼のエッセイの妙味のひとつで、
読む者が「この人駄目な人だなあ」とか「その思考はどこから来るのよ」とか
思わず笑える話に着地しているところが巧みというか狡いところで(笑)、
実際には駄目な人ではないのは読んでいると明白なのですが、
「駄目な人だなあ」と思わせる時点で彼の術中にはまっているのですよね。
術を晒しながら術中にはめて行く手法というか。
本書では割と批評家の立場で書いている文が多いので笑えるような話は少ないですが、
彼の言葉への並々ならぬこだわりが伺えて面白かったですね。
古本の差額計算の話とかは古本愛好家ならよくわかる話だと思います。
個人的にはこの人見るとキリンジの兄の方を連想してしまうのですよね。
知的で狡くてエロで変態で眼鏡でぬぼーとしていて、
でもとても美しい表現をする人という点に於いて。