永遠の2時20分

先日朝出かける前に腕時計をしようと手に取りふと盤面を見やると2時20分を指していて、
あれおかしいな今はそんな時間ではないはずだがと調べると何と電池切れのせいなのか止まっており、
止まった時計をしていても意味ないよなあと思いつつも何となく習慣で着用して行ったんですが、
電池というのはなぜにこうも前触れ無しに切れるのでしょうかね。
数日前とか数時間前とか数分前とか「そろそろなくなるので交換よろでーす」とか
メールで知らせてくれるくらいのサービスしてくれたって良いのにと思うんですが。
もしかしたら時間が徐々に遅れるなどの前兆があったのかもしれませんが、
たまたまここ数日腕時計をする機会がなかったのでそれに気が付かなかったのですよね。
気が付いたらすでに止まっていたという。
彼がいつその時を止めたのかがわからず、
最期を看取ることが出来ずにごめんなと言ってあげたくなったのですが、
(まあ電池替えればまた動くんですけどね)
よくよく考えてみたら時計というものは臨終の時間を表示して逝くものなのですよね。
そうか2時20分にその時を止めたのかこいつは、とはたと気が付いて。
ひょっとしたら2時くらいから「うう、五十嵐さん、俺もう駄目です。電池がなくなりそうです!」
と苦悩を示していたのかもしれず、
2時15分くらいには「あと5分もすれば俺も止まっちまう。儚い命さ。ふっ」と
死を受け入れて最後の煙草に火を点け、煙の向こう側に想い出を見ていたのかもしれず。


走馬灯のように駆け巡る己の人生をぼんやり振り返る腕時計。
桜の花びらにほんのり染まった春の午後3時。
潮風がしょっぱかった真夏の海岸での午後4時。
紅葉を見て綺麗だねと想い出を共有した秋の午前11時。
空から舞い落ちて来る雪の白さに目を細めた真冬の夜10時。
いつだってあなたの腕で時を刻んでいたのは俺です。
終電まであと少し、間に合うかとダッシュした1分24秒、
待ち合わせまでちょっと時間あるからと本屋へ立ち寄った13分28秒、
笑いと涙に包まれた至福の映画鑑賞タイム1時間47分、
汗まみれで働いた労働時間9時間25分、
人知れず悔し涙を流した1分37秒、
長い長い孤独な夢を見た睡眠時間5時間48分、
ピアノを開けて黙っていた4分33秒
長電話の記録を作った2時間35分、
いつだってあなたにその時を刻んでいたのは俺です。
あなたの腕で。長針と短針を動かして。
時を刻んでいたのは俺です。
あなたの腕で過した時間は楽しかった。
時を忘れるほどに。
この時が永遠に続くものかと思ってた。
でも違った、永遠なんてないのですね。
もう俺は止まります。
あなたとの時間は忘れません。
さようなら。
あなたに丁寧に磨いてもらって嬉しかった。
毎日着けてもらって嬉しかった。
時間の遅れを正確に直してくれて嬉しかった。
「この時計気に入ってるんだよ」と人に自慢してくれて嬉しかった。
あなたの腕に着いていてとても誇らしかった。
どうもありがとう。
もう俺は止まります。
さようなら。
さようなら五十嵐さん!
と言って止まったのが2時20分なのかもしれません。
このまま電池を交換せずに2時20分を永遠に残すことも出来るのですが、
死を永遠に残すことは何だか哀しいことです。
出来ればまた再び時を動かしたいと思っています。
そしてまた一緒に新たな時を刻みたいと思っています。
それまでは盤面は2時20分のままです。
さようならのままなのです。


で、いざ電池交換してみたら
「ひゃっほーい。五十嵐さんちぃ〜す!これからもどんどん時間刻む系なんでー。よろしくみたいな〜」
とか軽い感じに変わってたら嫌ですけどね。