私、赤い橋のたもとで

寒い日が続いていますね。
外を歩いていてもつい猫のように日溜まりを求めてしまいます。
太陽光線のありがたみに感じ入ってる日々です。
ノーモア日陰と書かれたTシャツがあればそれを着てメッセージの表明としたいくらいです。
私ほど日差しを求めている者はいないんじゃないかしらと思うくらい貪欲です。
右に出る者ナッシングなのです。こと日差しを求めることに関しては。
右側に気をつけろと言われても何のことやらという感じです。
日陰にいることを余儀なくさせられる場合は自分の息で暖を取るようにしています。
凄いぞ俺の息!ビバ二酸化炭素!と己を盛り上げながら息をふーふーと患部(?)に吹きかけ、
温もりマイセルフで何とかしのいでいます。
知床もこんな自家発電のような暖で乗り越えられないだろうかと甘く見ているのですが、
冬の北海道が甘くないことは「北の国から」で実証されています。
五郎さん、純くん蛍ちゃんがあんなに苦労しているのだから。
スイートネスは禁物だぜと己に言い聞かせています。
ひーとてっくというやつを世間は過信していやしないかと私は日々思うのですが、
あれって果たしてどんだけ効能あるんでしょうか。
ヒートテック着てても寒いものは寒い」というのが私の得た結論です。
あれは「寒いの寒いの飛んでけー」並のおまじないレベルなのではないか。
そんな論文を書いて学会に発表しようかと万年筆を手に取る心積もりはいつでもある私です。
万年筆持ってないですけれども。
おまじないでしのげるならそれはそれで紳助風に言うと「素敵やん」なんでしょうけどね。
病は気から。温もりはヒートテックから。
おまじないを着込んで知床でるーるるるるーとキツネに呼びかけようと目論んでいるこの頃です。


ところで今日、突然の訃報を聞いて浅川マキさんのレコードに久々に針を落としました。
大学受験を控えた高校生の頃に聞いたラジオ番組で小室等北山修両氏が曲をかけあっていて、
そこで北山氏が「自分が作詞した曲だが凄い歌唱で歌詞に深みが加わって感動した」とかけたのが
浅川マキさんの「赤い橋」という曲で、その子守唄のようなシンプルな、
でも凄みのある歌に私はおそろしさと哀しさの両方を感じて思わず聞き入ってしまったのですが、
歌声に圧倒されることってあるんだなと非常に印象深かったのですよねそのリスナー体験が。
赤い橋のある光景に自分が飲み込まれるような感覚というか。
今でもたまにこの歌を聞き返してしまうのですが、
この歌詞にあるように彼女も赤い橋を渡って行ってしまったのでしょう。
赤い橋を渡ったまま戻らない人をこの先何人見ることになるのか。
そんなことをふと思ったりもします。
見送る人は橋のたもとでその背中に手を振るしかないのです。
合掌。
「不思議な橋が この町にある
渡った人は 帰らない
みんな何処へ行った
橋を 渡ってから
いつか きっと 私も渡るのさ
いろんな人が この橋を渡る
渡った人は 帰らない」
(「赤い橋」浅川マキ)