入店証狂騒ブルース

先日新宿のデパートで実演を終え、さあ帰ろうと従業員口から出ようとすると
警備員のお兄さんに「入店証を見せて下さい」と呼び止められまして。
何事かと問うと「入店証を見せていただかないと出られないんですよ」とのことで。
私はこの日だけ交代で出ていたのでそんな決まりがあるとはつゆ知らず、
入店証は明日交代する兄に返却してもらうため会場に置いて来てしまったので
「すいません入店証は会場に置いて来ちゃったんですけど」と言うと
「じゃあ戻って入店証を取って来て下さい」と言われ。
私の実演していた催事場は7階なのでまたあそこまで戻るとなると時間もかかるし、
早く帰って明日の準備もしないといけない身ゆえ、
「置いて来ちゃったのはすいません。ただ私は催事場で実演していた業者で身分証明書もありますし、
カバンの中身もチェックしていただいて構わないので帰らせていただけますか?」と言うと
「いや、入店証を見せてもらわないとここから出すわけにはいかないんですよ」とのことで。
そもそも入店証というのは書いて字の如く入店する際に提示する証書であり、
私は怪しいものではなく貴店と取り引き商売させていただく業者ですよという意味合いで
あくまで入店を許された身であることを証明する代物であるわけで決して「退店証」ではないわけで。
それを退店する際にも見せろと言うのなら「入退店証」と明記するべきであり、
私はすでに入店証を提示している入店を許された身であるわけで
常識的に考えればその時点で退店も許された身であるわけで。
何でこれを見せて店内に入った者をもう一度疑うというのか理解出来かねないことであり。
まあそれが決まりであるなら今後私も提示に応ずる姿勢はありますよと大人な飲み込みをしてはみたのですが、
それを知らずに置いて来てしまった者に7階まで取って来いというのは
少々融通が利かないんじゃないかしら、どうなのかしらと思い、
「取りに行かないと駄目ですかね?」とそっと優しく聞くと
のび太を前にしたジャイアンの如き様相で「取りに行って下さい」とのことで。
私は「私が店の中に入っていたということは入店証を提示し許されたという証拠ですよね?
その時点でもう身分は証明はされていますよね?実際私は中で仕事して来てるのだから。
それを疑うということは警備員さんが私の入店時に入店証の確認を怠った可能性があるということですよね?
それはあなたの落ち度であって私の落ち度ではないですよね?
あなたは自分の仕事の怠慢の尻拭いを我々業者に押し付けてるということですよね?
そもそも何か悪いことをした人間がのこのこ警備員の前を通って帰りますかね?」と言うと
警備員のお兄さんはなんだよこいつうぜーよ的な顔しながら
「だから!入店証がないと出られない決まりになってるんですよ!取って来られたらどうですか!?」と言うので、
ははんこいつは妖怪入店証狂いか何かで、入店証を見ないと死んでしまうという特殊なる生物なのかと私は理解し、
この人はきっとどんなに偉い人、権威が来ても入店証を見ないとその人を店から出さないのであり、
それこそ菅直人だって伊達直人だって入店証を提示しないと「お前殺す」くらいの敵意を抱くのであり、
逆に入店証さえ提示されればビン・ラディンだって伊藤リオンだって「出て良いよん〜」と通すという生き物で、
入店証至上主義の稀に見る妖怪種なのだな、これは珍しいものを見た!とばかりにテンションが上がり、
きっとこの人を泳がせた池があったら入店証を餌にすれば入れ食い状態でばんばん釣れるのではないか、
うひょう大漁だ〜と入店証に群がる警備員をハトヤのCMよろしく抱きかかえることが出来るのではないか、
入店証を美術館に展示すれば朝イチから並び閉店まで延々「うわ〜入店証だ〜」とガン見するし、
入店証コンサートが開催されれば徹夜でチケットを入手し会場に足を運び
「にゅうてんしょう!にゅうてんしょう!」と入店証を讃える声を上げ、
入店証を見るためなら地下鉄にサリンを撒き散らすし、
入店証を見るためならツインタワーに飛行機で突っ込むし、
入店証さえあればご飯三杯は食べられ、入店証さえあればご飯など食べずとも生きながらえ、
入店証を見るためなら親や兄弟や恋人も殺し、入店証を見るためなら歯を抜き耳を引き千切り手足切断も厭わず、
西に入店証あれば見に行き、東に入店証されば見に行き、
雨にも負けず風にも負けず、入店証を見ることだけに命をかけ入店証に全てを捧げた、
入店証さえあれば生きて行ける素晴らしい生き物なのではないかと尊敬の眼差しで警備員を見ながら
この熱き入店証への想いを情熱大陸で取り上げれば良いのに!とさえ思っていたところ、
社員さんらしき人が警備員と私のやり取りを見ていたのかそばにやって来て
「あのー催事場の職人の方ですよね?いいですよ帰っていただいて」と
ひと言機転を利かせてくれたので私は「あ、そうですか?お疲れさまでした〜」と
さっきまでの警備員さんへの熱き想いもどこ吹く風、さっさとその場を去りました。
んもうさっさというのはこういうことを言うのかとくらい綺麗にさっさと。
警備員の格好をした妖怪入店証狂いは「え、入店証を見られないの?」と不服な顔をしておりましたが。
私は7階まで戻らなくて良かったという安堵の気持ちと同時に彼に入店証を見せられなかった悔いも抱き、
そうだ、今度彼にとびっきりの入店証をプレゼントしてあげよう!と名案を思いつきました。
彼はきっと待望の入店証を見ることが出来て歓喜に咽ぶことでしょう。
「い、五十嵐さん!わ、私はこれが見たかったんです!にゅ、入店証を。入店証を見たかったんです!」
彼は涙を流しながら私の手を取り「ありがとうありがとう」と何度も言うことでしょう。
私にはその光景が鮮明に浮かんできます。
真新しいぴっかぴかの入店証。
それを彼に贈るのです。
美しい包装紙と華やかなリボンに包んで。
ありったけのラブとテンダネスを添えて。
私はそんな美しさに満ちた素晴らしい世界を思い描きながら新宿を去ったのです。
1月の新宿を。