口溶けに甘えて

寒さに日々苛立っているだけでは何も始まるまいと態度を改めようとするも
やはりこうも寒いと炬燵で丸くなりたい!猫の如く!という欲望が己を支配し、
猫への急激なる進化(退化?)を止められないという困った状況になっていますが、
みなさんはこの寒さに怒りを覚えたりはしないのでしょうか。
炬燵で一生ぬくぬく暮らすという壮大な夢を抱いては猫のように丸くなり、
この寒き日々を鬱々と憂いています。
いっそ冬眠システムでも導入すればいいのに人類もーと思ったりもしますが、
今のところそんなシステムは導入の兆しが見られず。
仕方なく日々活動している冬疲れの私です。


毎年チョコレートの消費量が増えるそんな季節かとカレンダーを見やり思うわけですが、
私は普段チョコレートを自分で購入する機会がほとんどなく、ほとんど食べません。
「コンビニ行くと買っちゃうんだよねー」みたいな人が世の中にたくさんいるので、
そういう人から貰ってたまに食べたりはするのですが、
(一応「美味しい」とは思ったりもするのですが)
「お前一生チョコ食っちゃ駄目な」と禁止令を出されても
「了解でーす」とすんなり生きて行けそうなくらい執着がないのです。
この己のチョコレートへの頓着のなさは何なのだろうか、
前世で何かあったのだろうかと己とチョコの因果関係に想いを馳せるも答えは出ず。
取りあえずチョコというと幼少の頃から耳馴染みのある、
ロッテだの明治だののCMソングを思い出すのですが、
チョコのCMソングはなぜああも揃って物哀しいマイナー調なのでしょうか。
「チョコレート〜、ロッテ〜」と歌われるあのジングルの切なさたるや。
「チョッコレート、チョッコレート、チョコレートは明治〜」の哀愁たるや。
甘さに滲むビターな感触をそこに落とし込んでいるのでしょうか。
人の哀しい前世の記憶に一瞬触れるような食感をあの旋律で表現しているのでしょうか。
私はチョコのCMソングを聞くと旋律の切なさと相反する歌詞の前向きさに
人生の哀愁を感じてしまって何だか胸がキュンとしてしまうのです。


働く大人の女子が働く大人のカバンに小さなチョコを忍ばせ、
「毎日ちょこっと食べちゃうんだよね」とつまらぬ洒落を言いながらぱくっと口に放り込み、
「ん〜おいし〜」などとその口溶けに甘え、癒されている様を想像すると、
「嗚呼、私はチョコになりたい」などと思ったりもするのですが(何じゃそれですが)、
私の中でそのような「チョコは女子の特権」みたいなイメージが強いので
迂闊に男の私なんかが食べてはいけないみたいに思う気持ちがあるんでしょうか。
そんな女子の特権をわざわざ手作りだの凝ったラッピングだので渡してくれるというのだから
やはり一大事なのでありましょう。
取りあえずビターでお寒い日々ですが、一瞬でも口溶けに甘えてみるのも手かしらと
ギターで「小さな瞳」をぽろんと鳴らしてみる私です。