うるう、雪、小沢健二

もう2月も終わりなんですか。
早いものです。
うるう年のおまけの一日があろうことか大雪だという。
2月29日は暦の上では本来3月1日であるわけで、
「3月なのにこんな大雪?」という驚きの声を上げたいところですが、
かろうじて2月という名目ゆえ「まあこういうのを名残り雪というのかなあ」などと
ある種の納得みたいな感情を持ってしまうのですが、
それもうるう年の狙い(?)なんでしょうか。
名残り雪にしては降り過ぎですけどね。
どんだけ名残惜しんでるんだお前はという感じです。
「どう?俺、寒かったっしょ?最後の最後まで寒かったっしょ?」という
冬のドヤ顔が見えるようです。
顔面パンチを喰らわしてやりたいところです、冬に。
この貴重なおまけの一日を何とか有意義なものにしようと朝から意気込んだものの、
白い景色を目の当たりにし、しょっぱなから挫かれました。
2月29日と言えば、2004年2月29日に渋谷の某バーにて行われたライブが
fwjのデビューライブだったのです。
あれからもう8年かと思うと早いものです。
その渋谷のバーも今はもうありません。
うるう年が来る度に己のデビューライブを思い出すというのも良いサイクルなような気がします。
その時に演奏した「読みかけの夏」とか今でも演奏してますし。
8年も夏を読みかけているわけです。
未だに読み終わりそうにありません。
きっと永遠に読み終わらないのでしょう。
そんなことを雪景色を眺めながら思いました。


昨日の小沢健二のユースト中継を見ていて、
昨年鑑賞した復活ライブのことを思い出したのですが、
その時にも感じたある種の違和感が彼の10数年の空白を感じさせない
「しれっと戻って来てる」感だと思うんですが、
日本で10数年過ごして年を取ってそれなりに苦労して来た我々の元に
当時と変わらない佇まいでしれっと日本に戻って来て、
90年代と同じ仲間と同じような雰囲気で仲間感を醸し出してる彼に
「あれ、10数年の空白は存在しなかったの?」
というような時のずれを感じてしまうのですよね。
何か昨日の中継ではナタリーにも言及して
「俺ネットのそういうのもチェックしてるし」みたいなアピールも感じられ。
私は1年に1度日本に戻って来てその時流行っている芸人のギャグを真似たりして
しれっとバラエティに溶け込んでる野沢直子に微妙な違和感を抱くのですが、
その浦島感のなさに妙な気持ちを覚えるのですよね。
まあ今はネットもあるしそんな浦島状態逆にないのかもしれませんが。
ジョン・ケージの「4分33秒」になぞらえて
「ピアノの蓋を開けて4分33秒何もしないでいるのと同じように10数年何もしなかった」
みたいなことを語っていましたが、
まあ普通はそれで干されて忘れられてしまうところですけどね。
しれっと大舞台に戻って来れるのは自分が才能あるからというわけでしょう。
40過ぎても小沢健二小沢健二であるなと、彼のキャラの健在振りを再確認した次第です。
ライブ盤と書籍を合わせた作品集はパルコで販売されるそうですが、
90年代には流行の発信地だったというような印象のパルコも大分変わった気がします。
先日パルコで行われた大宮エリー氏の個展を見に行き、
その陳腐な言葉と既視感のある安易な展示に私は表現として物足りなさを感じ、
これで感動するような感性を持った人々が多くいることに驚いたのですが、
そんな感想を抱く私には用がない場所なのだなと思ったりしました。
ちょっと話がずれましたが。
小沢健二が日本に不在の間にそれこそしれっと出したインストアルバムが私は好きで、
言葉も声もないこの音楽をどういう気持ちで作っていたんだろうと想像すると興味深いです。
4分33秒の間に我慢出来ずにピアノの一音をぽーんと鳴らしてみたのでしょうか。
私はむしろそこに魅力を感じたりするのですが。
まあ結局小沢健二の作品集は予約したし(ボタンの用途が不明ですが)、
ライブの抽選は外れましたが機会あればまた見たいと思っています。
まあそれよりも小沢健二のまっさらな新譜を聞きたいところです。
今回の作品集は彼のこれまでのファンしか買わないだろうし、
彼の現在進行形の音楽が若い新しい人にどう聞こえるのか興味あるところです。