私、猪熊弦一郎現代美術館訪問

旅の終わりは倉敷から丸亀へ移動し(瀬戸大橋を初めて渡りました!)、
猪熊弦一郎現代美術館を訪れました。
駅降りたらすぐ独創的な外観を望む格好で。
赤と黄色のオブジェと壁画が広大な空間に広がっておりました。
遠くから近くから、しばし外観を楽しんでから中に入りました。
今回は収集家でもある猪熊弦一郎氏のコレクションの中から
スタイリストの岡尾美代子さんがセレクトし、
さらにはそれをホンマタカシ氏が撮るという「物物」という展示が成されており。
古今東西の可愛い小物、デザイン性に優れた文房具や食器、
家具やおもちゃ、がらくた(?)が贅沢な空間に展示されていて、
それが雑貨屋のようであり骨董屋のようであり、
誰かの生活スペースのようでもあり。
虫眼鏡で拡大して見られるようになっていたり、
ホンマタカシ氏の大きな写真で遠くから眺められたりと、
色々な視点で猪熊氏のコレクションを見学出来るようになっていて、
とても楽しめました。
中でも正面に飾ってあった帽子掛けが19世紀に作られたという異国の張子で、
張子を作る者としては「おっ」と惹かれるものがあり、
つい凝視してしまいました。
アーティストの収集物を見るのはそれだけでとても面白いですが、
そこにスタイリストと写真家の目線が入ると
さらに展示として面白いものになるのですね。


常設の猪熊弦一郎氏の絵画展「カンヴァスに飛ぶ」は
宇宙とか浮遊とかいったテーマの作品が多く展示され、
重力から開放されたような自由な模様と色鮮やかな色彩に満ちていて、
眺めていてとても刺激を受けました。
天井の高い空間で遠くから眺めたり近寄って細部を見つめたり、
色々な角度から作品を堪能しました。
これを音に変換するとどういう音色でどういう音響なのかなど
頭の中で鳴らしながら鑑賞しました。
素晴らしかったです。


巡回展示されているホンマタカシ「ニュー・ドキュメンタリー」は
複数のテーマの写真が手法を変えて見方を変えて展示されていて見応えありました。
ひとりの女の子の成長の過程と東京の風景を写した一連の展示は、
生まれたばかりの頃から最後は制服を着た学生に至るまでの
様々な季節の女の子のショットが風景写真の中に要所要所差し込まれるのですが、
諦観したような憂いに満ちたような表情でこちらを一点に見つめるショットが多く、
とても印象に残りました。
1枚ソファーにうつぶせで顔を見せないショットなどあり、
何があったんだろうと想像しながらじっくり追って鑑賞しました。
あとアメリカの郊外に連なるハイウェイを写したものは、
ハイウェイ下を渡る為のトンネルを野生のライオンが通過している事実が解説されていて、
沢山の人々が行き交う人工的な道路の下を野生の動物が交差しているという、
意外な共存の様子が写されていてこちらも興味深かったですね。
あと一面に大きく展示された雪上の血痕の写真は、
先ほどの人間と野生動物の共存というテーマとも通ずるものなのか、
白と赤という2色の配色の美しさと恐ろしさのようなものを追求したのか、
見ていてとても引き込まれました。
眩しいくらいの白に鮮やかな赤は単純にインパクトがありますしね。
会場の外はやはり猛暑の夏の明るさでしたが、
しばらく白と赤の配色が脳内に残り、雪上にいるかのような涼しさを感じました。
あとマクドナルドやケンタッキーフライドチキンの外観を
グラフィック風に粗くプリントした人工的な都会の写真や、
かたや森の中にいるような薄暗がりに光と音と共に展示された
森のきのこの写真など、氏の色々な角度からの写真へのアプローチが楽しめました。
じっくり時間をかけて見てしまいました。
記念に「物物」の書籍と猪熊弦一郎のグラフィックをあしらった風呂敷を記念に入手しました。
これで何かを包もうと思います。
これで包むと何か新しい概念が生まれるかもしれません。


しかし美術館の要所要所に監視員みたいな人がいますが、
あの人たちは何を考えてあそこに佇んでいるのか、
展示について想いを馳せているのか、
夕食の献立のことを考えているのか原発問題について考えているのか、
それとも何も考えていないのか、ちょっと興味が湧きます。
そこにいて場所と人をぼんやりと見るという仕事。
館内や展示について聞かれたり全体を監視したりという仕事はあるんでしょうが、
ほとんどが座ってるだけみたいな時間が多いと思うんですよね。
虚無の時間が何回かあるのだろうと思います。
虚無とどう向き合っているのか、
その虚無と向き合わないためにまめに交代をしているのか、
今度機会があったら調べてみたいと思います。


そんなわけですっかりアートな気分で帰路に着きました。
この気分のまま自分の作品を作っていこうと8月の光に軽く決意した次第です。


「新しさということは自分です。自分を一番出したものが新しい。
昔とか今とかいうんぢやないのです。他人の持たないものが出る。
それが新しいということです。」
猪熊弦一郎