文字の走らせ方

大阪と福岡の出張から戻ったらと思ったらすぐにライブだー新宿での催しだーと
慌ただしく過ごしていて今が師走であることをしばらく忘れていましたが、
もう12月も半ばなんですよね。
早いものです。
年末に向かってまっしぐらに進むしかないわけです。
カルカンを目指す猫の如く。


年末になるとスケジュールを管理する手帳を新調せむと
文房具屋にて吟味する人々を多く見かけますが、
いつの頃からか私は手帳を買わなくなってしまいました。
携帯にスケジュールもメモも書き込めるので不要になってしまったのです。
それでも「やっぱ紙に書き込める方が良いじゃん」と一応買ってはいたんですが、
綺麗にスケジュールなど書き込むのはせいぜい2、3月くらいまでで、
それ以降は書かなくなってしまい、見ることもなくなってしまうのです。
三日坊主ならぬ三月坊主です。
残りの10ヶ月近くが真っ白な手帳を年末に眺めながら
「やっぱ紙の手帳はいらねえな」と決断して久しいのです。
私の書く字が汚いというのも大きな理由なんですけどね。
自分で自分の書いた字が読めないという事態も稀にあるくらいで。
自分の悪筆でスケジュールを確認するとスケジュール事態も悪筆に思え、
テンションが落ちてしまうのですよね。
携帯で整理されたスケジュールを見ると「お、俺のスケジュール決まってるじゃん!」と
それにまっしぐらになる傾向があるのです。
(カルカンを目指す猫の如く)
リリックやテキストを書く時も下手な手書きだとテンションが落ちるので
携帯やPCにタイプして綺麗な字面で全体を把握して書くようにしています。
その方が言葉を管理しやすいのですよね。
じっくり丁寧に書けばそれなりの字にはなるんですが、
「この言葉を書き記したい」という思いと「じっくり書く」という行為の間に
スピードの齟齬が生まれてしまうのですよね。
思ってるスピードで言葉を書くとどうしても殴り書きみたいになってしまうのです。
待っていられないのですよね。
このブログだってじっくり手書きで書いてたら夜が明けてしまうことでしょう。
思ったスピードで言葉を(綺麗な字で)綴りたい欲求があるのです。
携帯やパソコンのある時代で良かったと思わざるを得ません。
仕事柄、招き猫に名前を書いたり江戸文字を模写したりする機会が多いのですが、
そういう時は時間をかけて丁寧に書くので巧く書け、
「俺は何て字が巧いんだ!」と我ながら感心するくらいなんですが、
普段の悪筆とのギャップに自分で引いてしまうこともあるのです。
早く書いても綺麗な字な人を見ると「いいなあ」と羨ましく思ってしまいます。
リリー・フランキー氏の手書きの文字が凄く貫禄のあるかっこいい字で、
こんなかっこいい字でエロいしょうもないコラム書いているのかと思うと
ますますかっこいいじゃないかと思ってしまうのですが、
そういう字への憧れみたいなものを抱きながら言葉を打ち込んでいる私です。
手書きで勝負出来れば良いのですが。


そういえば「アルプスの少女ハイジ」で初めて字を習ったハイジが
ノートに書かれた文字を見て「まるで馬が草原を駆けているみたいな線だわ」とイメージし、
その馬に乗って飛び跳ねる妄想にふける回があるんですが、
字だけでそこまで想像出来る感性は私は持ち合わせていないなあと
己の悪筆の文字を見る度思ってしまいます。
馬が草原を駆けるような豊かな文字を書いてみたいものです。
例えばカードで買い物をした後のサインの場面などで。
例えば文房具屋のペン売り場の試し書きの紙の上などで。
例えば愛する人に宛てた長い手紙を書こうと机に置いた上品な便箋の上などで。