船を編む

先日映画「船を編む」を鑑賞しました。
(以下読まれる際はネタばれにお気を付け下さい。)


辞書作りに情熱を傾ける人たちの青春群像であり、ラブコメディーであり、
夫婦愛の物語であり、壮大な大河ドラマでもある実に骨太な作品という感じでした。
上映時間も長かったですしね。
(辞書が出来るまでの10数年の物語なので自ずと長くなるわけですが)
それこそ辞書を作るまでに10数年もかかるということも知りませんでしたし、
辞書に載せる言葉を挙げて選んで注釈を書いて校正をしてという過程も興味深かったし、
新しい若者言葉を採取するのにファストフードに行ったり合コンしたりなど、
生きる言語に執着する求道者とした編集者の描写も面白かったですね。
チョベリグ」とか「キモい」とか「BL」とか「ら抜き言葉」とか、
言葉の進化(と言って良いのかどうかさておき)に常に敏感でいるという。
普遍的な言葉も意味が変化したり、流行的な言葉も現代語として定着したり、
言葉は常に変化していきますしね。
「憮然とした」という言葉も何となくふてくされたような表情を思い浮かべますが、
実は無表情というニュアンスの言葉なんですよね。
(と映画内で紹介されておりました・笑)
あと「右」という言葉を説明するための文章など今まで意識したことがなかったですが、
「北を向いた時に東を差す方」とか「10という数字の0の方」とか、
「時計の1時から5時の方向」とか色々な語釈で右という概念を説明出来るのですね。
私は咄嗟に「お箸を持つ方」という説明を思い浮かべましたが、
今では左利きの方もたくさんいますからね。
難しいものです、右の説明。
思想の右左とかも絡めて説明されたりするんでしょうしね。
他にもいざ「時間」とか「生きる」とかの大きな概念を辞書風に説明せよと言われても倦ねますよね。
映画内でも取り上げられていた「恋」の説明とか、
恋をどう捉えるのかによってもだいぶ文章が変わりそうですし。
サンキュータツオという芸人兼教授の人が辞書によって語釈が全然違うという
その差異を楽しむ提唱をして注目されていますが、
同じ「恋」を各出版社の辞書で見比べてみると確かに面白そうです。
辞書の数だけ異なる恋の語釈があるわけですからね。
それらを全部飲み込んだとて理解出来るほど簡単なものじゃないのが恋という気もしますけどね。
(そもそも辞書を引くような事象ではないわけですが)
この映画ではそんな言葉群の説明を編んで行くという地味な題材と地味な作業ながら、
チーム内の人間関係や作業の描写などで映画らしい盛り上げも工夫されてました。
この映画、ざっくり前半と後半の2部作と言ってもいいような作りでしたが、
個人的には前半部が面白かったですね。
松田龍平宮崎あおいのラブストーリーを軸にした展開で。
一方でオダギリジョー池脇千鶴カップルの物語も語られつつ。
(ここのカップルの描写は凄くリアルで巧かったし、中盤ちょっとほろっと来ましたね)
後半は辞書完成への道程とそれに関わる人たちの夫婦愛へと物語の焦点が変わるんですが、
ちょっと後半からだれ気味だった印象を受けましたね。
松田龍平の純朴で奥手なキャラは前半とてもコミカルで魅力的でキャラ立ちしてるんですが、
後半の結婚後は普通につまらないおじさんと化してしまっていて、可愛げがなくなるんですよね。
前半あれだけ饒舌で自己主張していた宮崎あおいが後半ほとんど喋らなくなるのも不可解だし、
端で見ててこの会話のない夫婦が全然幸せそうに見えないんですよね。
宮崎あおいのキャラが全然掴めないまま終わってしまったという印象です。
加藤剛八千草薫の老夫婦の描写はとても丁寧にされていて良かったんですが。
あと辞書が完成した時のパーティー池脇千鶴も再登場して欲しかったですね。
後半全く出て来ないというのも不可解かなと。
いっそこの映画、前半の青春テイストで終わってても良かった気がしました。
(そしたら辞書が完成しないので映画として成立しないんですけどね)


昨今は電子辞書もあるし、ネットで検索すれば言葉の意味も即座にわかってしまうわけですが、
あえて紙の辞書で言葉を引くという行為はそれこそ言葉で説明し難い特別感がありますよね。
言葉を自分の身体に入れ籠むのに経験しておくべき行為のような気がします。
紙の辞書を引くという行為。
映画内ではページを捲る時の紙の質感についての描写が何度か成されていましたが、
デジタルと違う点はそこですからね。
物体としての辞書の重みとか紙の質感とか。
「ここに言葉の森が、言葉の宇宙がある」みたいな実感がそこに込められているような気もします。
そんな辞書が文字通り編集者の想いが込められた「重いもの」であるということを
この映画で改めて認識したという次第です。
竹内まりやの「セプテンバー」の歌詞に出てくる
「借りていたディクショナリー明日返すわ/ラブという言葉だけ切り抜いた跡/それがグッドバイ」
という行為も電子辞書では出来ないのだよなあということもちょっと思いました。
ここで歌われている辞書のラブの項目にはどんな語釈が書かれていたのでしょうか。
世に歌われる歌詞の言葉は広く言えば辞書の語釈みたいなものなのかもしれません。
言葉を編むという行為の難しさと面白さについて考察に至る私です。