色彩を持たせる、猫をつくる

気が付けば6月も半分を過ぎているわけです。
早いです。
早いのです。
雨が降ってちょいと肌寒いかなと長袖を羽織れば湿気でムンムンとし、
暑いなと脱いで電車なんぞ乗れば冷房で寒く、
また上着を羽織ってしばし歩きなどすればまた蒸して来るしで、
寒いの暑いの一体どっちなの、セクシーなのキュートなのどっちが好きなのと、
往年のあややばりの2択を先方に突き付けたい衝動に駆られながら過ごしています。
何とも難しい季節です。梅雨は。


今週は新宿駅の西口イベント広場での「匠の会職人市」という催しに参加していて、
朝8時から夜9時までずっと新宿にいるわけなんですが(長えよと単純に思うのですが)、
新宿という場所は本当に色々な人たちがいるなあと目の前を通りゆく人々を眺めながら感心している次第です。
老若男女、痩せている方、ふくよかな方、薄着の方、着込んでる方、
元気な方、元気なさそうな方、サラリーマン、OL、学生、
何をしているかわからない方、男でもなく女でもない方、
自意識過剰な方、自信家の方、猫背の方、早足の方、
たくさんの荷物を抱えている方、何も持っていない方、
日本に住む人はどんな人たちですかと問われれば新宿に行きなさいと答えるであろうと確信した次第です。
(そんな質問される機会ないですが)
村上春樹の小説「ねじまき鳥クロニクル」の中で、
主人公が新宿の街に出かけ一日中通行人の顔を眺めるというくだりがありますが、
新宿を歩く人々を見るだけで様々な人間がいて様々な生活があり、
それらが交差する不思議さに想いを馳せることでしょう。
(人間の渦にやられて心が疲れてしまうかもしれません)
本当にたくさんの人が行き交う場所だなと再認識せずにはいられません。
春樹といえば新作の「色彩を持たない多崎つくる〜」でも後半に新宿駅の描写が出て来ますが、
前半の名古屋の描写がふわっとしてるのに新宿駅の描写だけなぜか情感たっぷりでとても印象に残りました。
この作品では名古屋はどうでも良く(?)、ヘルシンキと新宿の描写に力を入れたかったのかもしれません。
これを読んだファンはJR新宿駅9、10番線を聖地として巡礼するのではないかと想像したのですが、
海外住まいの春樹からしたら一番日本を感じる場所が新宿駅なのかもしれません。
孤独な多崎つくるが人の集まる駅を作る仕事をしているというのは
自分がプラットフォームとして機能するという願望とか、
それに向けての修繕とか回復に動くみたいな要はそんな話なのかねーと読後ざっくり思ったのですが、
新宿駅の哀愁にあれだけページを割いているというのは作者の想いがそれだけあるということでしょう。
乗れるはずの松本行き最終電車を乗らずに見送る人生。
乗ってしまった人たちや乗らずに帰っていく人たちがたくさん交差する場所。
多崎つくるは新宿駅の小説という印象が強いです。


通行人を眺めながら(別にずっと眺めてるわけじゃなく仕事の合間にですが・笑)、
日本には色々な人がいてそれぞれ夢中になって暮らしているのだなと思うと
何だか孤独でいながら孤独ではないような感覚を覚えます。
家を持たない人たちが駅周辺で寝泊まりしているのも単純に屋根があるとかの物理的な理由以外にも、
人がたくさん集まっているということがあるんじゃなかろうか。
そんなことを思ったりしつつ招き猫に色彩を持たせる作業をしています。
新宿にて。