芝読み(電車内)

電車に乗っていてドア付近に立っている場合、自ずと乗客はみな同方向を向いて立つものですが、
たまにひとり逆方向を向いて立つ人などがいて、あれは如何なる所業かと思うわけです。
特に混んでいる車内に於いて。
その人は芝で言えば順目でなだらかな列を形成している車内にてひとり逆目を成し、
大事なパターショットを惑わす存在になっているわけです。
ゴルファーには優しくない存在になってるのです。
そんな逆目くんはだいたいがドアを背もたれにする傾向があり、
そうすると目線が車内を向き、車内にてドア方向を向いている人たちと自ずと目が合ってしまうわけで、
さらに人が乗って来て混んでくるとその逆目くんと順目の我々は体がどんどん接触することになり、
下手すると近距離で見つめ合う羽目になるのであり、どうにも落ち着かないのです。
どこぞの者かわからぬおっさんと見つめ合って視線のレーザービームで恋でも生まれたらどうするのか、
その時五十嵐とおっさんの距離は0.1ミリ、57時間後五十嵐はおっさんに恋をした、などと、
恋する惑星」風のナレーションが被さったらどうするのかという疑問を投げかけつつ、
おっさんから目線をそらし恋に発展しない作戦を遂行するのですが、
携帯や本などあればそこに目線を落とせるものの、混んでてその手のアイテムを取り出せない場合、
おっさんと恋人の距離にいながらにしてさりげなく目線をそらすという、
まるでおっさんと目が合って照れてはにかんでるみたいな図が展開されるのであり、
見たくもない車内広告に目をやりながら地獄とはこのことなり、と毎回思わざるを得ないのです。
おっさんも空気というか車内の芝の目を読んで
「あ、俺ドア側向かないとまずいな」とか途中で気が付いて欲しいんですが、
そういう輩に限って「なんでこっち向くんだよう」などという顔をするのであり、
それはこっちの台詞だ馬鹿野郎などと心の内に罵声を浴びせるのですが、
おっさんは車内方向を向いたまま姿勢を変えないのです。
いっそおっさんの体をむんずと掴み、くるっとドア側に180度回転させてやりたい衝動に駆られるのですがそうもいかず。
あれは何なのでしょうか。
そういう病気なんでしょうか。
だいたい乗客の立ち位置は車内の半分を境に「右ドア見る派」「左ドア見る派」、
「ドア横のポールにもたれてる派」に分かれると思うんですが、
ドア横ポール派は混んで来ると自然にドア見る派に転向するもんなんですよね。(五十嵐調べ)。
それが逆目おっさんは混んで来る過程であえてドアに背をもたれて車内見る派に転向しやがるのであり、
全くもって解せないのです。
そういう輩は空間に於ける己の立ち位置の把握が出来ないセンスないやつ。と、
私は一刀両断してやりたいのですね。
マイクがあればフリースタイルでdisりたいわけです。
華麗に韻を踏みながら。
過去何度となく見知らぬおっさんとちば拓の「キックオフ」よろしく見つめ合うことがあり、
その度に海の如く深いため息をついて来た私ですが、
この間久々にそんなおっさんに遭遇したのでここに記してみた次第です。
まあこれが可愛い女子だったら許すんですけどね。
(許すんかい)
電車内のグッドなポジション取りは経験とテクニックを必要とするので、
初心者は場数を踏んで上級者になって欲しいものです。
しかしドア側に背をもたれるスタイルを好む輩の気持ちがわからないのですが、
あれは果たして楽なんですかね。
もしずっと自分側のドアが開く場合駅に着く度に位置を変えなければならないし、
本などに集中してドアが開くのに気が付かず「うわあ!」なんてことになったらかっこわるいし、
あまりメリットがないように思うんですが。
そんなことを思考しながら電車に揺られてみたりしている私です。