無 for sale

前に伊集院光のラジオ番組の投稿で
「無差別」という言葉は「差別が無い」という意味で本来良い言葉のはずなのに
「無差別テロ」「無差別殺人」などネガティブな言葉の頭で多用されているのが不思議である、
というのがあってなるほどと思ったのですが、
確かにそのようなマイナスな言葉を連想してしまいますね。
無差別と聞くと。
「俺は無差別に人を愛する!」みたいなのも何となく誰彼構わず口説くみたいな
節操ないイメージも浮かんでしまいますし、
試合の無差別級というのもいかつい大男が小さい男をおらおらおら!と痛めつけるような、
逆に差別みたいなイメージも浮かんでしまいがちです。
思うに、何となく頭に「無」が付くと
どれもこれもネガティブなイメージに落とし込まれるんじゃないでしょうかね、言葉は。
無神経、無能、無力、無自覚、無職、無一文、無茶、無鉄砲無粋など。
それらは何かしらの要素が「無い」からネガティブなイメージになるんでしょうが、
無違反とか無事故とか無血とかは無差別と同様良い意味のはずなのに
後ろに付いている言葉がネガティブなせいでプラマイゼロくらいの扱いになってしまうのですよね。
無闇というのも闇が無いのは良いことのように思えるんですが、
ネガティブな使い方されますしね。
無という言葉、恐るべしです。
人は何かしら「有」じゃないとポジティブになれないのでしょうか。
無の付く言葉でイメージの良いものと言うと
邪念がないという意味で「無心」かなと思ったのですが、
これも「お金を無心する」などと人に金品をねだる場面で使われますし。
これって人としての心を無くさないと金品をねだれない、
という意味ではなるほどという言葉ですけどね。
どんだけ言葉をネガティブにすれば気が済むのだ無よ、と、
その無神経な行いに無闇矢鱈と腹が立ちいっそ無視してやろうかと思うくらいですが。
無で良いイメージの言葉はないかと思案したところ、
「無邪気」と「無印」は割とポジティブなイメージを受けるんじゃないかと思ったのですが、どうでしょうか。
無邪気は主に子供などの好ましい行動などを形容しますし、
無印は「無印良品」などと自ら良い物でっせ!と宣言してますしね。
そう考えるとネガティブなイメージの無という言葉を使いながら
ポジティブな商品ブランドイメージを構築するに至った
無印良品のネーミングセンスは抜群だったと言えるんじゃないでしょうかね。
人の無意識や無自覚に訴える言葉のイメージ力。
無は「無い」のにその引力だけは「有る」という不思議な矛盾です。
まあ何が言いたいかというと、
これだけ無の付いた言葉が無数にあるということは、
それだけ本来有るべきものが無くなっている事象が世に溢れているというわけで、
人の世に無はたくさん有り、
人は常に何かを無くしたりまた得たりしながら生きて行くものなんだなあ、みつを。
ということです。
どこかで聞いたような世の真理ぽい意見ですが。
あと最後に無料という素敵な言葉も思い付きましたが、
これもタダほど高いものはないというある意味ネガティブなイメージもありますからね。
それでも無料の字を見かけると無視出来ない私なんですが。
まあ何かしら有意義なことをしたいなあ、なんて思いつつ
無意識無自覚に日々に流されてしまってる私です。
無意味な言葉などネット上に羅列しつつ。
まあ何事もなく無事でいられればそれで良いのですけどね。
無事で。