他人のハンカチーフ

卵を路上に放置すれば目玉焼きが出来上がるのではなかろうかというほど熱せられたアスファルトの上を歩きながら太陽光線の猛威を感じ、ミンミン喚く蝉のディストーションかましたギターの如きサウンドを聞きながらカレンダーを見やればもう8月なのであり、夏本番だな、まさしく。とサマー真っ只中にいることを実感している私です。
我が家の仔猫ミルクはバタバタと其処らを駆けずり回り、カーテンや洗濯物やら座布団の紐やら目についたものにミャアミャアじゃれつき、じゃれついてはまたドタバタ走り、この猛暑の中に於いて溢れんばかりの生命力を発揮しているのですが、それもそのはずエアコンをつけていて涼しいからであり、空気を思うがままにコントロールするという神の領域とも言えるこの人間様の文明の利器を駆使せねばお前は熱中症で倒れているところなんだぞと力説しても奴は「みゃあ?」とキョトンとしているのであり、この涼しさが当たり前のようにのびのび過ごしているのです。それでいて名前を呼んでもツンとしていたりするのであり、猫というやつは本当に仕方ないなと思いながら猫様が快適にお過ごしになられるようエアコンを駆使してせっせと涼しさをキープしているこの頃です。

先日、夏の昼間の路上にて前を歩く50代くらいのご婦人がハンカチを落としたので、私はそれを拾いご婦人に駆け寄って「もしもし、ハンカチを落としましたよ」と声を掛けたところ、ご婦人は怪訝そうな顔で「いえ、それ私のじゃないです」という意外な反応をし。「あれ、そうでしたか…」と応えつつ、私のささやかな善意とハンカチの行き場が失われ宙に浮いたのですが、ご婦人が落としたように見えただけでハンカチは最初から路上に落ちていたのでしょうか。私の見間違いだったのでしょうか。しかし困るのは一度拾ってしまったハンカチの行き場で、まさかまた「ごめんね、家では飼えないんだよ〜」と路上に置くのも何だし、交番を探して届けに行く時間もないしで、まさしく宙に浮いてしまい。とりあえずは己のポケットに収めて仕事場に戻ったのですが、誰の物かわからぬ他人のハンカチというのは持て余すものだなとつくづく思った次第です。他人の使ってたハンカチとなると洗濯したとて何となく使う気にならないし、そもそもデザインが50代のご婦人が好みそうなマダムなテイストなのであり、こんなマダムヤンハンカチが自分の所有物と思われるのは心外なのであり。かといって拾ったのは人がごった返す秋葉原の路上なのであり、持ち主の特定は困難に思われ。結局ハンカチは持ち帰り絵の具や筆を拭くのに使うことにしたのですが、ハンカチも自分の運命に驚いたことでしょう。これまでマダムの流した汗やこぼした涙やそこに凝縮された人生の雫を身を呈して吸収し、その掌に常にぎゅっと握られ長年の信頼を得てきたハンカチたる自分が夏の路上に無残に落とされ、見ず知らずの男(私)に拾われ、渡されようとしたマダムには「私のじゃないわ」と拒否され、行く末は絵の具を洗った筆の汚れを拭く身になろうとは。ハンカチを落とした経験のある方は多数いらっしゃるかと思いますが、日本全国で毎日のように落とされ行き場を失っているハンカチたちがいると思うと不憫に思えて来るものです。駅や交番や店や施設に届けられたそれらは持ち主が現れなければ恐らくごみとして処分されるか雑巾などに二次使用されるのでしょう。ひょっとしたら誰かが再びハンカチとして使用するのかもしれませんが。
落とされたハンカチたちの行く末を追って行くと意外なドラマが待っているのかもしれません。そんなことを思った8月の冒頭です。