夏の終わりに想う

お盆も過ぎ、気が付けば8月の終わりも見えて来ました。夜ともなると涼しい風が吹くようになり、虫の音も鳴り響くようになりました。もう秋の気配が漂い始めているという。本当に時の経過は早いものです。
夏休みの四国旅行から帰って来てからは地味に仕事をこなす毎日で、その合間に海へ夕焼けを見に行ったり、友達と花火をやったり、猫のミルクと戯れたり、それなりの夏を過ごしておりました。レコードを引っ繰り返す度に、網戸を開け閉めする度に、植木に水をやる度に、夏が少しずつ終わって行くのを感じ、この切なさがそのまま秋のムードになっていくのだよなあとしみじみ感じているこの頃です。
終戦記念日敗戦記念日と言って良いのでしょうか)には静かに黙祷などし、戦争のなかったこの70年を思い、果たしてこの先70年も戦争のない日本でいられるのであろうかと平和維持への疑念を抱きつつ亡き者への鎮魂を寄せたのですが、キナ臭い匂いは払拭されぬまま夏が終わりそうな気配が濃厚です。国会周辺の動きを毎日ラジオ越しに耳にしながら、飽きれたり怒りを覚えたり。デモを先導する若者を頼もしく思ったりしながら夏を少しずつ見送っています。どうなるのでしょうか、未来と呼ばれるこの先の行方は。
先日、それこそ終戦記念の日に、先ほど亡くなられたきょうこさんのお別れ会があり、お手伝いも兼ねて参加して来たのですが、小さい会場に溢れんばかりのたくさんのお客さんが来ており、楽しく食事しながら会話したり、彼女へのメッセージをノートに寄せたり、お酒やお茶を飲んだり、彼女の生前の映像や写真を眺めたり(私は初めて彼女がギターを弾いているアヴァンな映像を見ました)、終始とても良い雰囲気で、自分も最期にはこうしてみんなに賑やかに見送られたいものだなとしみじみ思ったりした次第です。きょうこさんとイトケンさんのお人柄なのでしょう。様々なバンドやユニットで活躍するイトケンさんだけにたくさんのミュージシャンが来られており(久々に会う人がたくさんいました)、この面々でライブやったらすごい豪華だなあなんて変なことも思いつつ、お酒なんぞグビグビ飲みつつ、彼女のご冥福をお祈りしました。途中抜け出して近藤さんの家に遊びに行き、猫のモイちゃんに会いに行くツアーもあったりしたんですけどね。(モイちゃんが可愛い過ぎて写真を撮りまくったという。)この猫への情熱に関してはきょうこさんも飽きれたかもしれませんが。(もしくはきょうこさんも『私もモイちゃんに会いに行く〜』と一緒に来たかもしれないですが)
猫を飼い始めて思うのは「この子もやがては死ぬんだなあ」ということで、仔猫のうちからそんなこと考えてどうするんだという話ですが、想像するだけで心底哀しいのであり、家族を失うという場面に立ち会った時に自分はどう振る舞うのだろうと想いを馳せてしまうのですよね。毎日家族が生きて家の中に暮らしている幸せを大切にしないとなあと思ったりするわけです。
誰かにとっての家族を奪う戦争に加担などしたくないし震えるほど嫌だよなあと思うのであり、それを利己的だの言う輩は一生いい湯加減のお風呂に入れない病にでも罹れ、そして疲れの取れない残念な人生を歩み給えなどと思ってしまう私です。
身近の人が生きて笑って暮らしている日々を大事にしながら過ごしたいものです。そんなことを思う夏の終わりです。