コメディのキングの果てに

年末ということで相変わらず慌しいのです。26日から池袋東武での催事が始まったので日々せっせと通っておるのですが、夜に知人と食事したりする機会も多く、自ずと寝る時間も遅くなり、若干お疲れさんなモードで年末を過ごしております。
先日は知人のツテで「PLUS1 Living 」というインテリア雑誌の撮影で我が家をロケスタジオとしてお貸しすることになり、早朝からどでかいトラックが引越しのような様相で乗り付け、家具やインテリアなどわっさわっさと運び入れられ、カメラマンさんがそれをカシャーカシャーと良い感じに撮っていく図が展開されたのですが、こうして雑誌は作られているのだなーとそのプロの仕事ぶりを感心しながら眺めてしまった次第です。ミル坊はというと「知らない人が来た!しかも複数で!恐い!」と逃げてしまい、どこを探してもおらず、まさか外へ脱走したのではっ?と心配しながら布団を引っ張りあげたら奥の方でぶるぶる震えながら潜んでいたので、「お前はどんだけ臆病なのだ」と軽く諭したんですけどね。そんなわけで残念ながらミル坊の雑誌デビューはならずでした。この模様は2月発売の誌面に載るそうなので、後で「この壁、我が家や〜」とにやにやしながら眺めたいと思います。
あとこの年末、個人的に衝撃を受けたニュースがキングオブコメディ高橋逮捕という事件なんですが、女子校に浸入し制服を盗むという行為を20年も前から続けていたそうで、驚きとしか言いようがなかったですね。キンコメを最初にオンバトで見た時はボケの今野もさながらセンスあるワードで端的に鋭くツッコむ高橋の手腕に感心し好きになり、キングオブコント優勝の時もようやくその面白さが世の中に認められて嬉しかったし、先日もエレ片で意地汚いキャラをイジられて爆笑を誘う高橋に「面白いな〜」と改めて感心していたところだったので非常に残念でなりません。
それにしても思うのは人間の性的嗜好の複雑さについてで、以前も道路の側溝に忍び込んで女性のスカートを盗撮していた男が「生まれ変わったら道になりたい」という名言めいたものを残し逮捕されたというニュースがありましたが、「パンチラ」という嗜好ならまだしもそこから「側溝に忍び込んで盗撮」という展開を経てさらに「道になりたい」にまで飛躍する願望は如何なるルートを辿ってそこに至るのか実に理解し難いものがあるのですが、実際当人にしかわからない衝動があるのでしょう。あと他にも女性の乗っている自転車のサドルばかり盗んでいた窃盗犯が逮捕されたニュースもちょっと前にありましたが、「女性のお尻が好き」から「そのお尻の乗ったサドルが好き」を経て「そのサドルを盗んで集める」に至る思考の飛躍はハライチ澤部風に言えば「だいぶ序盤で女性のお尻関係なくなっちゃった!」なのであり、こちらも理解し難いものがあるのですが、サドルに固執する性癖が何かの拍子で生まれるのでしょうか。性癖の細分化は人間の嗜みなのかもしれませんが、犯罪になるともうアウトなので気を付けねばなりません。しかし犯罪であることが加味された性癖だともう如何ともし難いですけどね。
キンコメ高橋の場合もお金を出せば制服なんて買えるのにと思うんですが、「不法浸入」と「窃盗」という人に見つかるかもしれないスリルが加味されてないと満足が出来ない性癖に至ってしまったのかもしれません。しかしこれが20年にも及び芸人という社会的に影響力のある立場になっても止められないというのはもう立派な病の類いだと思われ、罪を償って社会復帰したとて再犯に及ぶ可能性が大いにあるので、カウンセリングなどのケアが必要なのではないでしょうか。実際性犯罪者の再犯は多いと聞きますし。
キンコメ高橋といえば幼き頃母を自殺で亡くし、父は事業に失敗し多額の借金を抱え、自身は一時期痴漢の冤罪で活動休止に追い込まれるなど何かと不幸な身ながらそれをもネタにし強靭に笑いに昇華して来た芸人という印象なのですが、その陰に斯様な犯罪絡みの性癖を抱えていたとは、その巨大な孤独と闇を想像するといたたまれない気持ちになります。家族にも相方にも友人にも話せないだろうし、いつかは捕まると理解しながらも行為を止められない自分に恐怖を感じていたのかもしれません。今回遂に捕まって少しほっとしている部分もあるのではないでしょうか。勿論やってることは犯罪なので擁護の余地はないし、きちんと罪を償うべきですが、彼がこの20年悪魔のような性癖を抱えながら何を思って生きて来たのか、どんな気持ちで性癖と矛盾する「人を笑わせる」という仕事に従事して来たのか、彼の人生に想いを馳せるとただただ「悲しい」という感情しか浮かびません。いつかお縄をちょうだいする自分が観客の爆笑を浴びているというのはどんな気分なのでしょうか。それすらも恍惚に感じていたのでしょうか。お笑いを愛する者としては悲しいとしか言いようありません。
つくづく人間というものは弱くて複雑で矛盾に満ちた脆い存在であることかと想いを馳せる、そんな年末です。